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去勢・避妊手術は犬の生殖器の病気を減らすか?

 犬に対して不妊手術(オスの去勢とメスの避妊)を施すと生殖器の病気は減るのでしょうか?また性腺(精巣と卵巣)から分泌されるホルモンの作用を受ける器官では、病気の発症率が変わるのでしょうか?最新のデータとともに検証してみましょう。

犬の不妊手術と生殖器の病気

 2019年、アメリカ・ワシントン大学病理学部が犬に対する不妊手術に関する包括的なレビューを行いました。当ページでは手術と生殖器に発生する病気の関連性について検証した過去の調査報告(エビデンス)をご紹介します。なお出典論文はオープンアクセスです。 Desexing Dogs: A Review of the Current Literature
Silvan R. Urfer, Matt Kaeberlein, Animals 2019, 9(12), 1086; DOI:10.3390/ani9121086
ざっくりまとめると(オス)
  • 良性の前立腺肥大の発症を予防するが、この病気はそもそもそれほど寿命に影響しない
  • 精巣を取り除けば精巣腫瘍の発症を予防できる
  • 停留(潜在)精巣がある場合は腫瘍化する前に切除したほうが良い
  • 前立腺がんのリスクが示唆されているものの、がんの発症自体が少なく、またエビデンスの強度も弱い
ざっくりまとめると(メス)
  • 卵巣切除術を施せば卵巣腫瘍(良性+悪性)は発症しない
  • ただし施術者の失敗で卵巣遺残症候群を発症することはありうる
  • 子宮卵巣切除術を施せば子宮蓄膿症子宮内膜炎、子宮がんは発症しない
  • 性腺切除の乳がんに対する予防効果は逸話のレベルで科学的に証明されているとは言い難い

オスメス共通

 イヌ可移植性性器肉腫(CTVT)は交尾、咬傷などを通じて広まる悪性腫瘍(がん)の一種。タスマニアデビルにおける顔面腫瘍(DFTD)と併せ、伝染性を有した悪性腫瘍として知られています。以下の分布図で示したように、世界6大陸のすべてでその存在が確認されており、日本においても散発的に症例報告が行われています出典資料:Ishikawa, 1995/出典資料:Koike, 1978)世界におけるイヌ可移植性性器肉腫(CTVT)の有病率マップ  イギリス・ケンブリッジ大学の調査チームは、109ヶ国の獣医師から回収した合計645のアンケートを元データとし、世界中におけるCTVTの有病率などを調査しました。
 その結果、オスとメスとの間で性差は確認されず、国の社会経済的なステータスが低いほど高い有病率が確認されたといいます。また不妊手術を受けている犬の割合が高いほど、有病率が低くなる傾向が確認されたとも。性腺を取り除くことによって性ホルモンの濃度が低下し、リビドー(本能的な衝動)が弱まって伝染の根本原因である交尾が減少した結果だと推測されます。
 ただしこのアンケート調査は「あなたの国における犬たちの多くは不妊手術を受けているか、いないか?」「CTVTの有病率は感覚的に何%くらいか?」など、厳密性を欠くかなり雑なものです。
The changing global distribution and prevalence of canine transmissible venereal tumour
Strakova, A., Murchison, E.P., BMC Vet Res 10, 168 (2014), DOI:10.1186/s12917-014-0168-9

去勢とオス犬の生殖器疾患

 オス犬の生殖器の病気としては精巣腫瘍(良性+悪性)、前立腺肥大、前立腺がんなどがあります。去勢手術とこれらの疾患との関連性を検証した調査報告は以下です。

精巣腫瘍

 台湾にある2つの動物病院で、12年の間に病理学検査を行った腫瘍症例476件を対象とした統計調査が行われました。その結果、さまざまなタイプを含む精巣腫瘍の発見率は16.8%(80/476頭)だったといいます。
 80頭が発症した精巣腫瘍の数は全部で96あり、そのうち52(54.2%)は停留(潜在)精巣、残りの44(45.8%)は陰嚢内精巣だったとも。停留精巣は生殖細胞と間質細胞の複合腫瘍、セルトリ細胞腫、精上皮腫(セミノーマ)の発症と関連していることが確認されました。またマルチーズにおいて見られる高い精巣腫瘍の発症率には、おそらく停留精巣が関係していると推測されています。
A 12-Year Retrospective Study of Canine Testicular Tumors
Albert Taiching LIAO, Pei-Yi CHU, et al., Journal of Veterinary Medical Science, Volume 71 (2009) Issue 7, DOI:10.1292/jvms.71.919

良性前立腺肥大

 去勢済みのオス犬に対し、アンドロゲンを体重1kg当たり1日2.5mgの割合で12週間投与したところ、人為的な前立腺肥大を引き起こせることが確認されています。またアンドロゲンの前駆物質である3α-アンドロスタネジオールの場合、1日の容量をわずか0.5mgに減らしても同様の肥大を引き起こせます。こうしたことから、犬における良性前立腺肥大の原因は体内を循環するアンドロゲンであると考えられています。
 アンドロゲンは主に精巣で生成されるホルモンですので、去勢によって性腺を切除すればアンドロゲン濃度が低下し、結果として前立腺肥大の発症を予防することができます。
Concentration of dihydrotestosterone and 3 alpha-androstanediol in naturally occurring and androgen-induced prostatic hyperplasia in the dog
Moore RJ, Gazak JM, J Clin Invest. 1979 Oct;64(4):1003-10, DOI: 10.1172/JCI109536

前立腺がん

 前立腺がんを発症した70頭の犬を対象とした疫学調査を行ったところ、71%が去勢済みだったといいます。また同じ年代に属する対照グループと比較したところ、去勢を受けたオス犬は受けていない犬の3.9倍も発症しやすいという結論に至りました。
 58症例を免疫組織化学的染色で調べたところ46症例でサイトケラチン7が検出され、サイトケラチン7を腫瘍内に含んでいた犬の去勢タイミングが2歳だったのに対し、含んでいない犬のそれが7歳だったとも。2歳以下のタイミングで去勢を受けた犬はサイトケラチン7を腫瘍内に含む確率が統計的に高いと判断されました。
Immunohistochemical characterization of canine prostatic carcinoma and correlation with castration status and castration time
Veterinary and Comparative Oncology Volume 1, Issue 1, K. U. Sorenmo, M. Goldschmidt et al., DOI:10.1046/j.1476-5829.2003.00007.x
 イタリア・パドヴァ大学の調査チームが過去に行われた前立腺がんに関する疫学調査を包括的にレビューしたところ、 前立腺がんの有病率はおよそ0.35%、小型犬より中~大型犬に多く、診断時の平均年齢は8.5~11.2歳だったといいます。またおよそ80%の症例で転移が見られるものの、予後不良とされてきた肺への転移によって生存期間中央値は影響を受けなかったとも。さらに去勢手術の有無によって発症リスクが変動するかどうかを検証した結果、去勢が行われたタイミングが不明だとか比較対照グループの選定に不備があるなど、科学的に十分な証拠は見つからなかったそうです。
 最終的に調査班は「前立腺がんのリスクは、6歳未満のオス犬に対する去勢手術を見送る際の医学的な理由にはならない」と結論づけています。
Prostatic Neoplasia in the Intact and Castrated Dog: How Dangerous is Castration?
Animals 2020, 10(1), Magdalena Schrank, Stefano Romagnoli, 85; DOI:10.3390/ani10010085

避妊とメス犬の生殖器疾患

 メス犬の生殖器の病気としては卵巣腫瘍、子宮蓄膿症、子宮がん、乳腺腫瘍(良性+悪性)などがあります。避妊手術とこれらの疾患との関連性を検証した調査報告は以下です。

子宮蓄膿症

 避妊手術において卵巣だけでなく子宮も同時に取り除く「子宮卵巣切除術」を行った場合、必然的に子宮に発症する病気を予防することができます。具体的には、未手術だった場合、10歳になるまでの間におよそ2割のメス犬が自然発症するとされる子宮蓄膿症などです。
 スウェーデン国内でペット保険に加入している10歳未満のメス犬を対象とした疫学調査では、1995年(加入数97,963頭)においては1,803頭が子宮蓄膿症を理由とした請求が認められており、年間発症リスクは2%と推計されました。また1996年(加入数97,367頭)においては1,754頭が認められており、同リスクは1.9%と推計されました。
 ただし保険データには避妊手術の有無が記載されていないため、分母には卵巣切除術や子宮卵巣切除術をすでに受けているメス犬も含まれています。ですから推計値が必ずしも正確とは言えません。
Breed risk of pyometra in insured dogs in Sweden
Egenvall A, Hagman R,et al., J Vet Intern Med. 2001 Nov-Dec;15(6):530-8, DOI:10.1111/j.1939-1676.2001.tb01587.x
 同じくスウェーデンで行われた別の調査では、1995年から2006年の期間、ペット保険(Agria)に登録されていた延べ100万を超えるメス犬の請求データを元に、子宮蓄膿症と乳腺腫瘍(良性+悪性)に関する疫学調査を行いました。その結果、子宮蓄膿症を理由に請求が認められたケースが20,423件、乳腺腫瘍が11,758件、少なくともどちらか一方が30,131件だったといいます。10,000頭を分母とした時の罹患率は子宮蓄膿症が1.9%(199頭)、乳腺腫瘍1.1%(112頭)、少なくともどちらか一方が2.8%(297頭)と推計されました。診断時の平均年齢は子宮蓄膿症が7歳、乳腺腫瘍が8歳、少なくともどちらか一方が7.4歳で、10歳までに発症する割合は順に19%、13%、30%だったとのこと。なおスウェーデンにおいてはメス犬の9割以上が避妊手術を受けていないため、「ほとんどの犬が子宮を有している」という状態を暗黙の前提としています。
Breed Variations in the Incidence of Pyometra and Mammary Tumours in Swedish Dogs
S Jitpean, R Hagman et al., Reproduction in Domestic Animals Volume 47, Issue s6, DOI:10.1111/rda.12103

乳がん

 性腺切除術によって卵巣を取り除くと、体内における女性ホルモンレベルが劇的に低下します。その結果、ホルモン受容体を豊富に含む乳腺への作用が減り、結果として腫瘍化や悪性化を防げると、一般的には言われています。
 メス犬の乳がんに関する最初期の調査では、避妊手術が明白な予防効果を有している可能性が示唆されています。93の乳がん症例と87の対照例を比較したところ、最初の発情期を迎える前のタイミングで避妊手術を受けたメス犬の発症リスクが0.5%だったのに対し、1回だけ迎えた犬のそれは8%、2回以上迎えた犬のそれは26%だったといいます。
Factors Influencing Canine Mammary Cancer Development and Postsurgical Survival
Robert Schneider, C. Richard Dorn, D.O.N.Taylor, Journal of the National Cancer Institute, Volume 43, Issue 6, December 1969, DOI:10.1093/jnci/43.6.1249
 一方、21世紀に入ってから行われた調査では必ずしも同じ結論には至っていないようです。例えばカリフォルニア大学デイヴィス校の教育病院(VMTH)において、2000年1月から2014年6月までの14年半の間に蓄積された医療データを後ろ向きに調査し、ジャーマンシェパードと関節障害および悪性腫瘍(がん)との関連性が検証されました。調査対象となったのは合計1,170頭(未手術オス460+去勢オス245/未手術メス172+避妊メス293)のデータです。
 乳がんに関し、未手術のメス犬では有病率が4%だったのに対し、1歳未満のタイミングで避妊されたメス犬では1%未満という明白な格差が確認されましたが、統計的に有意(=明確に差がある)とまでは判断されませんでした。同様に、骨肉腫悪性リンパ腫血管肉腫肥満細胞腫、および子宮蓄膿症においても避妊手術の有無で違いは見られななったそうです。
Neutering of German Shepherd Dogs: associated joint disorders, cancers and urinary incontinence
Hart BL, Hart LA, et al., Vet Med Sci. 2016 May 16;2(3):191-199. DOI: 10.1002/vms3.34
 さらに、避妊手術と乳がんの関連性に焦点を絞った査読済みの論文13報(※英語で記載されている)を包括的に分析したところ、そのうち9つは調査対象の選別過程や検証手法に問題があり、結論に強いバイアスがかかってしまう可能性があると判定されました。残りの4つは中等度のバイアスと判定されたものの、完璧なものは1つもなかったといいます。例えば疾患グループと対照グループとの間で年齢、犬種、人工的な卵巣ホルモンへの曝露歴がばらばらなどです。
 調査チームがこの4つに焦点を絞ってさらに分析を進めたところ、1つは避妊手術によって乳腺腫瘍(良性と悪性の両方)の発症リスクが低くなると結論付けていました。2つは手術と発症リスクとの間に明白な関連性を見出すことができず、残りの1つは具体的な数値を示さないまま「乳腺腫瘍(良性と悪性の両方)にある程度の予防効果」という控えめな結論を出していました。
 国、手法、調査対象、調査目的などが異なるこれら4つの報告をメタ分析した結果、チームは医学的な証拠としての強さ(strength of evidence)としては最低レベルの「評価D」、すなわち「科学的な根拠がない専門家の意見にすぎない」との結論に至っています。
The effect of neutering on the risk of mammary tumours in dogs-a systematic review
Beauvais W, Cardwell JM, Brodbelt DC, J Small Anim Pract. 2012 Jun;53(6):314-22. DOI: 10.1111/j.1748-5827.2011.01220.x
手術に関しては「犬の去勢と避妊」、疾患に関しては「生殖器の病気一覧」をご参照下さい。