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ジーン

 アメリカ初の俳優犬として活躍したメスのボーダーコリー「ジーン」について解説します。

ジーンとは?

 ジーンは1910年代、アメリカ初の俳優犬として活躍した、メスのボーダーコリー
ジーンの飼い主だったローレンス・トリンブル  1906年頃、ジーンとその飼い主であるローレンス・トリンブルは、職を求めてニューヨークに移り住みました。ライターを志していた彼が動物に関する記事を雑誌社に売り込んだところ、「映画製作に関する記事を書いてみないか?」というオファーを受けます。ジーンを連れてブルックリンにあった「ヴィタグラフ・スタジオ」を訪れると、そこでは無声映画女優フローレンス・ターナーを用いた映画を撮影中でした。トリンブルとジーンにとってラッキーだったのは、そのとき偶然フローレンスの相方犬を募集していたことです。
アメリカ初の俳優犬となったボーダーコリーのジーン  キャスティング・ディレクターは、たまたま現場に居合わせたジーンを気に入り、早速フローレンスとの共演が実現します。このときの演技が評価され、ジーンはすぐに人気者となり、スタジオ名から「ヴィタグラフ・ドッグ」という名誉ある愛称で呼ばれる看板犬になっていきました。
 その後トリンブルはジーンとフローレンスの専属監督となり、1910年から13年にかけて5~6本の映画を撮ります。当時のジーンの人気がいかに高かったかは、彼女の名を冠した映画のタイトル「JEAN AND THE CALICO DOLL」、「JEAN GOES FISHING」などからもうかがい知ることができるでしょう。
1910年代、「ヴィタグラフ・ガール」として人気を誇った無声映画女優フローレンス・ターナー  スタジオのドル箱として働いていたジーンとフローレンスでしたが、1913年、トリンブルは両者を連れて突如アメリカを去ってしまいます。これは「犬に対する会社の干渉が強すぎる」ということが理由だったようです。アメリカからイギリスへ渡った2人と1匹は、現地で「ターナーフイルム株式会社」を立ち上げ、意気揚々と再スタートを切りました。
 しかし第一次世界大戦の勃発により出鼻をくじかれ、結局1916年にはアメリカに戻るはめになります。看板犬ジーンが死んでしまったのもその年です。
 現在、ジーンの姿を残した映像はほとんど現存しておらず、残っているのは写真や音声、もしくはBGMだけです。その代わり、ジーンを失ったトリンブルが失意の中で見つけ出した俳優犬ストロングハートの映像は、現在でも見ることができます。 Larry Trimble Vitagraph Dog

ジーンの写真

 以下でご紹介するのは、アメリカ初の俳優犬として活躍したメスのボーダーコリー「ジーン」の写真です。 1910年に発行されたヴィタグラフスタジオのパンフレットには「ジーンと共演すれば、どんな大根役者でもそれなりに見える」とある
 アメリカ初の俳優犬ジーンは、後に活躍するストロングハートリンティンティンの先駆者的な存在となった。写真の出典はこちら