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犬の椎間板疾患に対する間葉系幹細胞治療の効果~日本発「ステムキュア®」の可能性

 2021年3月、DSファーマアニマルヘルス株式会社が椎間板ヘルニア用の幹細胞治療製剤「ステムキュア®」の製造販売承認を獲得しました。そもそも間葉系幹細胞にはどのような特徴があり、どのような治療効果が期待できるのでしょうか?

犬の間葉系幹細胞とは?

 間葉系幹細胞(Mesenchymal Stem Cell, MSC)とは脂肪細胞、軟骨細胞、骨芽細胞を始めとした多種多様な細胞に分化する可能性を秘めた成体幹細胞のこと。自己複製と増殖力に優れ、中胚葉性組織と外胚葉性組織に分化する潜在能力を持ち、また遠く離れた組織に自発的に移動して免疫調整、炎症抑制、血管新生、抗酸化といった機能を発揮することから、損傷を受けた臓器や器官を復活させる「再生医療」において重要な役割を担うと考えられています。 また奇形腫を形成する可能性が低く、胚盤胞を元に培養されるES細胞がはらむような倫理的問題がない点においても注目されています出典資料:Gugjoo, 2020)犬の骨髄から培養した間葉系幹細胞(MSC)の顕微鏡写真  間葉系幹細胞はほぼ全ての組織から採取が可能で、犬においては脂肪組織、羊水、羊膜、骨髄、歯髄、子宮内膜、角膜上皮、肝臓、筋肉、嗅上皮、腹膜(大網・小網)、卵巣、歯周靭帯、骨膜、末梢血液、胎盤、関節滑膜、臍帯血、臍帯(へその緒)、ホウォートンゼリー(へその緒に含まれるゼラチン質)を元に培養できることが確認されています。培養16日目の細胞数では骨膜由来の幹細胞が1,940万個と最も多く、それに筋肉(337万個)、脂肪(233万個)、骨髄(145万個)が続き、採取時の侵襲性や増殖効率から比較した場合、脂肪組織および骨髄の実用性が最も高いと考えられています出典資料:Gugjoo, 2019)

犬の椎間板疾患と幹細胞治療

 背骨を構成する椎骨は椎間板(椎間円板)と呼ばれる線維性組織によってつながれています。この椎間板に退行変性や機械的な圧力・せん断力が加わり、外周を構成する線維輪が破れて中の髄核が飛び出てしまった状態がいわゆる椎間板ヘルニアです。 犬の椎間板ヘルニア 正常な椎間板とヘルニアを生じた椎間板の比較図  ヘルニアは背骨のどこにでも発症する可能性がありますが、肋骨でがっちり固定された胸椎よりも可動域が大きい頚椎や腰椎で発症しやすく、飛び出した髄核が隣接する神経根や脊髄を機械的・化学的に刺激して神経症状を引き起こすことが珍しくありません。神経に対する刺激を取り除くため、侵襲性が高い外科的骨切り術(除圧術)や内視鏡手術が行われることもしばしばです。
 椎間板の内部は血管分布が乏しいため、損傷した組織が自然回復する可能性は低いと考えられています。もし幹細胞治療で患部を修復できれば、痛みや運動障害を抱える犬にとっても、経済的・心理的負担を抱える飼い主にとっても大きな朗報と言えるでしょう。
 間葉系幹細胞がもつ可能性を検証するため、過去に様々な実験が行われてきました。以下はその一例です。「自家」は自分の体組織から幹細胞を培養したこと、「他家」は他の個体の体組織から幹細胞を培養したことを意味しています。

自家/脂肪/人為発症

 アメリカにあるアトランタ医療センターの調査チームは12頭の犬たちに髄核部分切除術を施し、皮下脂肪組織由来の自家幹細胞がもつ患部再生能力を検証しました出典資料:Ganey, 2009)
 切除術が行われたのは腰椎の中央に位置する3つの椎間板(L3-L4/L4-L5/L5-L6)で、手術後6週間は自然回復期とされました。 その後、犬の皮下脂肪組織から採取した自家間葉系幹細胞(MSC)を培養し、部分切除を行った3つの椎間板をランダムで「MSC+ヒアルロン酸」「ヒアルロン酸のみ」「何もなし」のいずれかに分けた上で医療的介入を行いました。注入されたMSCの数は1つの椎間板につき平均224万個です。
 6ヶ月もしくは12ヶ月経過後のタイミングで切除術を行わなかった隣接椎間板を含めたMRI検査、エックス線検査、組織・生化学的検査を行った結果、幹細胞の注入を行った椎間板においては椎間板の厚さ、細胞外マトリクスの半透明性(コラーゲンタイプIIとアグリカンの再生を反映)、線維輪の区画化、髄核内の細胞密度が比較対照群(ヒアルロン酸だけ/何もなし)よりも良好で、組織学的にも形態学的にも無傷の椎間板に近かったといいます。 間葉系幹細胞の直接注入により高さを回復した犬の椎間板(L5-L6間)

自家/腸骨骨髄/人為発症

 日本の東海大学を中心とした調査チームは30頭の犬を対象とし、一体どのくらいの間葉系幹細胞(MSC)を注入したら再生能力が最大になるのかを検証しました出典資料:Serigano, 2010)
 チームは30頭のビーグル犬たち(12~18ヶ月齢/10kg程度)をランダムで6頭ずつからなる5つのグループに分け、「椎間板変性なし+何もしない」「椎間板変性あり+何もしない」「椎間板変性あり+MSC10万注入」「椎間板変性あり+MSC100万注入」「椎間板変性あり+MSC1000万注入」という違いを設けました。ここで言う「椎間板変性」とは椎間板に含まれる髄核をシリンジで人為的に吸い取った状態のことで、MSCは骨盤の腸骨稜に含まれる骨髄から培養した自家幹細胞のことです。
 椎間板の変性から4週間が経過したタイミングで規定の医療的介入(MSCの椎間板内直接注入)を行い、12週間空けてエックス線、MRI、肉眼および顕微鏡による目視検査を行ったところ、MSCによる介入をした椎間板では介入をしなかった椎間板と比較し、高さと線維輪の構造が保たれて正常に近かったといいます。 犬の椎間板に間葉系幹細胞(MSC)を注入してから12週後のMRI画像  また注入数ごとの再生能力を比較した結果、100万群と比較して10万では生存細胞数(増殖可能な生きた細胞)が少なく、1000万ではアポトーシス(個体をより良い状態に保つためにプログラムされた積極的な細胞死)を起こした細胞が多かったとも。

自家/骨髄/自然発症

 スイスにあるチューリッヒ大学の調査チームは腰仙部の椎間板疾患(椎間板突出と馬尾への物理的な圧迫)を自然発症したジャーマンシェパード6頭(オス5+メス1/年齢中央値5歳/体重中央値38.5kg)をランダムで3頭ずつからなる2つのグループに分け、一方を「MSC群」、他方を「比較群」とした上で間葉系幹細胞(MSC)がもつ治癒能力を検証しました出典資料:Steffen, 2017)
 MSC群の患部に注入されたのは、腸骨稜内の骨髄から培養した自家間葉系幹細胞200万個、比較群の患部に注入されたのは生理食塩水で、どちらの群も除圧手術を行った後の第7腰椎と第1仙椎に挟まれた椎間板が介入部とされました。
 手術から1→6→12ヶ月後のタイミングで回復具合を比較した結果、目立った副作用が見られなかった反面、目立った治癒効果も確認されなかったといいます。 犬の椎間板に間葉系幹細胞(MSC)を注入してから12ヶ月後のMRI画像

他家/脂肪/自然発症

 ブラジルにある複数の大学からなる共同チームは、椎間板ヘルニアでよく見られる対麻痺(後肢に力が入らずふらふらになること)に対する間葉系幹細胞(MSC)の改善能力を検証しました出典資料:Bach, 2019)
 調査に参加したのはCTスキャンによって胸腰部(T3-L3)に自然発症の急性ヘルニア(ハンセンI型/グレード4~5)およびその結果としての対麻痺が確認された22頭の犬たち。 犬の胸腰部に発症したヘルニアのCT画像  犬たちをランダムで11頭ずつからなる2つのグループに分け、一方を「半側椎弓切除だけ」、他方を「半側椎弓切除+MSC移植」とし、医療的介入によって回復具合にどのような違いが見られるかを比較しました。除圧手術に関してはどちらのグループも症状の出現から7日以内に行われ、MSCグループには他家脂肪組織由来の間葉系幹細胞が術中に硬膜上腔から1000万個移植されています。
 両グループを比較した結果、歩行能力の回復に要した日数の中央値に関しては「除圧のみ」が21日だったのに対し「除圧+MSC」が7日、入院日数中央値に関しては「除圧のみ」が4日だったのに対し「除圧+MSC」が3日で、両方とも統計的に有意な格差だったといいます。
 両グループ間で歩行能力と痛覚の回復率に違いはなかったものの、間葉系幹細胞と組み合わせた方が術後の回復が早まるとの結論に至りました。

他家/脂肪/自然発症

 韓国にあるソウル国立大学の調査チームは急性の胸腰部椎間板疾患(T10~L5)を自然発症し、深部痛覚消失を伴う対麻痺が出現した犬たちを対象とし、間葉系幹細胞(MSC)がどの程度改善能力を発揮してくれるかを検証しました出典資料:Kim, 2016)
 2006年4月~2014年7月までの期間中、大学附属の教育病院を受診した患犬の医療データを後ろ向きに参照し、対麻痺と痛覚消失を発症したケースを「半側椎弓切除による除圧術のみ」と「半側椎弓切除+MSC移植」という条件で絞り込んだところ、前者が25頭(オス18+メス7/平均5.67歳/8.04kg)、後者が9頭(オス5+メス4/平均5.32歳/平均7.62kg)見つかったといいます。MSC移植の具体的な内容は、他の犬の臀部から採取した脂肪組織由来のMSCを、障害を受けた脊髄実質に硬膜経由で1000万個直接移植するというものです。 対麻痺を発症した犬に対する間葉系幹細胞(MSC)治療による治癒・改善率  手術から6ヶ月の治癒期間に絞って両グループの回復具合を比較した結果、「除圧のみ」の完全回復率(歩行能力も痛覚も回復)が16.0%、改善率(痛覚が回復してなんとか歩ける)が36.0%、無反応が48.0%、「除圧+MSC」の完全回復率が55.6%、改善率が22.2%、無反応が22.2%だったといいます。治療の成功率(=改善~完全回復)に関しては52.0%:77.8%で、この格差は統計的に有意と判断されました。

日本発「ステムキュア®」の可能性

 2021年3月22日、日本のDSファーマアニマルヘルス株式会社が犬脂肪組織由来の間葉系幹細胞を用いた製品「ステムキュア®」の製造販売承認を得たことを発表しました。ただし「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法)」第23条の26に基づき、条件と7年間の期限付き承認です。ここで言う「条件」には、「犬の椎間板ヘルニアの診断・治療に対して十分な知識・経験を持つ獣医師が適切な体制下で使用すること」、および「向こう7年間で有効性及び安全性の評価に十分な数の症例について、製造販売後臨床試験を改めて行うこと」が含まれます。なお「ステムキュア®」はDSファーマアニマルヘルスの商標です。同じ製品名の紛らわしい化粧品がありますので混同にご注意ください。

使用方法

 「ステムキュア®」製品1mL中には他家間葉系幹細胞が200万個含まれており、犬の体重1kg当たり1回50万~100万個を日本薬局方ブドウ糖注射液5%で希釈して輸液量を30mLに調整し、ろ過網を有する赤血球用輸血セットを用いて1分間に0.5mLのペースで1時間かけて全量を点滴静注するというのが基本的な使用法です。投与間隔は最低5日とし、3週間かけて3回投与することとされています。

期待できる効果

 「ステムキュア®」に含まれる間葉系幹細胞の作用機序としては、トランスフォーミング増殖因子β、プロスタグランジン E2、インドールアミン-2,3-ジオキシゲナーゼ等による抗炎症作用、血管内皮細胞増殖因子による血管新生作用や神経成長因子等を介した神経保護作用などが想定されています。
 しかし犬の椎間板ヘルニアに対し、静脈経由で注入した間葉系幹細胞(MSC)がどのような治療効果を発揮するかを検証した報告は、調べた限りありません。近いものとしては以下のようなものがあります。
静脈経由でのMSC移植事例
  • 前十字靭帯断裂骨髄由来の自家幹細胞を静脈経由(体重1kg当たり200万個)および膝関節内(500万個)に直接移植→全身及び関節における炎症の指標が低下したが、関節内直接移植の方が効果が高かった出典資料:Muir, 2016)
  • アトピー性皮膚炎脂肪細胞から培養した自家幹細胞を体重1kg当たり130万個の割合で静脈内に投与したが、飼い主による評価でも獣医師による評価でもかゆみや病変の顕著な改善は認められなかった出典資料:Hall, 2010)
  • 炎症性腸疾患脂肪組織由来の他家間葉系幹細胞(MSC)を炎症性腸疾患と診断された11頭の犬たちに、体重1kg当たり200万個の割合で静脈経由で投与→副作用は見られず、42日後における評価ではIBD活動性指標(CIBDAI)と犬慢性腸症活動性指標(CCECAI)は改善したがC反応性タンパクに変化はなかった。また「寛解」を「CIBDAIおよびCCECAIの値が75%超低下」と定義した場合の寛解率は82%(9/11)で、残りの2頭においても症状の改善が認められた出典資料:Perez, 2015)
  • 髄膜脳脊髄炎原因不明の髄膜脳脊髄炎を発症した8頭の犬を対象とし、骨髄由来の自家間葉系幹細胞を大槽(小脳の後側のスペース)にある静脈および右頸動脈から髄腔内に投与→最長2年に及ぶ追跡調査を行ったが投与経路に関わらず副作用は認められず、静脈経由よりも動脈経由の方が治療に対する反応(頚部痛と神経症状の改善)が早く見られた出典資料:Zeira, 2015)
 「ステムキュア®」の販売元であるDSファーマアニマルヘルスに対し、承認を得る過程で提出したという「胸腰部椎間板ヘルニアを対象とした臨床試験」の具体的な内容を問い合わせたところ、治験対象になったのは胸腰部椎間板ヘルニアを自然発症し、保存的治療あるいは外科的治療を行っても歩行不能な対麻痺の臨床徴候を呈するペット犬20頭(複数犬種)との回答を得ました。また治癒評価は死後解剖ではなく生体に対して行う「Texas Spinal Cord Injury Score」を通じて行われたとのこと。これは歩様、姿勢反射、痛覚の回復具合を神経学的なテストを通じてグレーディングしていく評価法のことです出典資料:Tamura, 2020)
2021年の時点で「ステムキュア®」は条件付きの承認です。実際に市場に出してからさらにデータを収集し、有効性に関する確証が強まったタイミングで改めて申請するという流れになります。