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犬は小型の狼である?

 犬の都市伝説の一つである「犬は小型の狼である」について真偽を解説します。果たして本当なのでしょうか?それとも嘘なのでしょうか?

伝説の出どころ

 「犬は小型の狼である」という都市伝説の出どころは、1997年に発表された「Multiple and Ancient Origins of the Domestic Dog」(→出典)という研究報告だと考えられます。この報告では、犬と狼のミトコンドリアDNAを解析し、現代に生きるイエイヌは今からおよそ13万5,000年前、タイリクオオカミから分岐した変種であると結論づけました。当時としては最新の遺伝学に依拠したこの発表により、それまであった「狼とジャッカルとの混血説」などが否定され、犬と狼が極めて近い種であるという事実が広く世間に知れ渡るようになりました。その後、2002年に発表された研究(→出典)では「イエイヌとタイリクオオカミは共通の祖先から分化した兄弟のような存在である」という仮説が提唱され、従来の「親子説」が否定されたものの、犬と狼が近縁種であるという事実自体は変わっていないようです。 遺伝的に狼に近いとされるシベリアンハスキーの外見は確かに狼に似ている  また、一部のトレーナーが信奉している「ドミナンス理論」も都市伝説の形成に寄与しているものと考えられます。「ドミナンス理論」とは、犬の祖先は狼であるから、群れのリーダーである飼い主は狼の流儀に合わせ、ペット犬に対して毅然とした態度で接し、決してなめられてはいけないという考え方のことです。しつけ本やドッグトレーニングをテーマにしたテレビ番組などを通してこの理論が広まったことにより、たとえ遺伝学的な研究報告を知らなくても、「犬と狼は親戚同士である」くらいの事はなんとなく知っている人が多くなったようです。
 その他、犬と狼の近縁性を示す証拠のうち、比較的よく耳にするものとしては以下のようなものがあります。これらもすべて大なり小なり、都市伝説の形成に関わっているものと推測されます。
犬と狼近縁説の証拠
  • 犬と狼は交配できる
  • 外見が似ている
  • DNAの99.96%が一致している
  • 発達段階が酷似している

伝説の検証

 犬と狼の違いは体の大きさだけで、その他の部分は同じであるならば、狼も犬のように広くペットとして飼われていても不思議では無いはずです。しかし、一部のワイルドな人やサンクチュアリなどを除き、狼を飼育している人の話はほとんど聞かれません。犬と狼の間で見られるこうした扱いの差を理解するためには、両者の間にある様々な違いを知っておく必要があるようです。
 犬と狼の両方を対象とした研究としては、ハンガリー・エトヴェシュロラーンド大学が行ったものが有名です(→出典)。チームは2001~2003年の間、狼の幼獣と子犬のさまざまな側面を比較するため、子狼に対する重点的な社会化計画を実行しました。具体的な内容は、生後4~6日から16週になるまで、13頭(オス6頭+メス7頭)の子狼に対して同数の世話人が付き、24時間体制で世話をするというものです。そして11頭の子犬たちを全く同様の環境下で育て、成長の様々な段階において各種テストを行いました。具体的な内容は以下です。

接触に対する寛容さ

 狼は犬と比較し、幼いころから社会化を施され、かなり人なれしていても、若干「キレやすい」傾向が残ってしまうようです。研究チームは、子狼と子犬たちが生後3~9週になったタイミングで「スタート地点に置かれた幼獣を実験者が抱え上げて世話人に手渡す」という接触テストを行いました。その結果、以下のような特徴が観察されたと言います。
犬と狼・抱きかかえテスト
  • 子犬 合計131回のテスト中、攻撃性を示すような行動は1度も観察されなかった。
  • 子狼 合計143回のテスト中、うなったり噛み付くフリをするなど、攻撃性を示すような行動が41回(29%)観察された。行動を示したのは13頭のうち9頭(69%)だった。
 こうした結果から研究チームは、狼たちは犬と比較して触られるのが苦手か、もしくは攻撃性を示すまでのハードルが犬たちよりも低いのではないかと推測しています。また、24時間体制の徹底的な社会化を行わないと、過去の報告にあるような「人間に対して命の危険を感じさせるような行動をとる」(Fox, 1971)といった状況も起こりうるとしています。 狼を人なれさせるには、幼獣の頃から重点的な社会化を行わなければならない

愛着行動

 犬と狼の間では、人間の世話人に対する愛着の度合いに開きがあるようです。研究チームは、子犬と子狼が生後3、4、5週齢時に「育ての親+?」という二択テストを行いました。概要は以下(→出典)。
二択テスト
  • 3週齢時育ての親+哺乳瓶/育ての親+見知らぬ成犬
  • 4週齢時育ての親+見知らぬ人/育ての親+一緒に育った仲間
  • 5週齢時育ての親+見知らぬ成犬/育ての親+見知らぬ人
 上記二択テストを実施したところ、「育ての親」を優先的に選んだ状況に関し、子犬と子狼とでは若干の違いが生まれたといいます。結果は以下。
「育ての親」を選んだ状況
  • 子犬(合計3状況)4週齢時の「育ての親>一緒に育った仲間」、および「育ての親>見知らぬ人」/5週齢時の「育ての親>見知らぬ成犬」
  • 子狼(合計2状況)3週齢時の「育ての親>哺乳瓶」/5週齢時の「育ての親>見知らぬ人」
 このように、子犬が3つの状況において育ての親を選んだのに対し、子狼では2つの状況においてしか選ばなかったという結果になりました。さらに、子犬は意志伝達のため、「悲しげな声で鳴く」、「しっぽを振る」、「人の目を見つめる」といったシグナルを多く見せたといいます。それに対し子狼はこうしたシグナルを見せず、逆に世話をしてくれた人を避けたり、時には攻撃的にすらなったとのこと。
 こうした観察結果から研究者たちは、仮に幼い頃から充分なハンドリングを行ったとしても、狼に犬と同レベルの社会性を身に付けさせることは難しいという結論に至りました。

ジェスチャーの読み取り

 犬と狼とでは人間のジェスチャーを読み取る能力に格差があるようです。研究チームによると、犬たちは生後4ヶ月で早くも、人間から与えられたジェスチャーを頼りに隠されたエサの場所を当てることができるようになるといいます(→出典)。ここで言うジェスチャーとは、「指でエサの入った容器を叩く」、「容器から10cm付近を指さす」、「容器の後ろに立つ」、「離れた場所から容器を瞬間的に指さす」、「指の代わりに足を使う」、「視線で誘導する」などです。驚くべきことに、こうした読み取り能力は、特別な社会化を行わなくても大抵の子犬に先天的に備わっているとのこと。一方、狼たちは集中的なトレーニングを行い、生後11ヶ月頃になってようやく犬と同程度の問題をクリアすることができるようになったといいます。 指さしテストにおける狼の成績の悪さには、人間に注目しないという特性が影響している  犬と狼の間で見られる能力格差に関して研究チームは、「狼は基本的に人間の目を見つめようとしない」という行動特性が関わっているのではないかと推測しています。人間に対して注目させることが難しい分、ジェスチャーを読み取らせることも難しくなってしまうというわけです。逆に、動物界において相手の目を凝視することが敵意を意味するにもかかわらず、犬が頻繁に人間の顔を見つめようとするのは、そうした面の皮の厚い犬を家畜化の過程であえて選別してきたからではないかとも推測しています。

伝説の結論

 全く同一の条件下で育てられた犬と狼とを比較することにより、両者の間に存在する遺伝的な差が明らかになりました。狼は「接触への寛容さ」、「愛着行動」、「ジェスチャーの読み取り能力」という側面において、犬よりもやや劣ってしまうようです。これらはすべて人間と共に暮らしていく中で非常に重要となってくる能力です。狼をペットとして気軽に飼うことができない理由はここにあるのかもしれません。ですから「犬は小型の狼である」という都市伝説は嘘ということになります。 遺伝的な近さに基づいて犬と狼を同等視するのはナンセンス  90年代のしつけ本の中では、犬に暴力をふるって覚え込ませるというやり方が平気で記載されています。こうした荒っぽいやり方を正当化しているのは「犬と狼は元は同じだから、人間が群れのリーダーになって犬たちを統制しなければならない」という考え方です。そして 21世紀になった今でもこの「ドミナンス理論」を持ち出し、「犬の首根っこをつかんで振り回す」とか「犬を地面に組み付して制圧する」といったしつけ方法を正当化している人がいます。しかし上記したように、犬と狼は必ずしもすべての側面において一致しているわけではありません。たった1本の遺伝子の変異によって大型犬と小型犬の違いが生まれたり(→出典)、たった7本の遺伝子によって多種多様な被毛パターンが生み出されたりします(→出典)。また、「野犬のオスは子育てに参加しない」(→出典)、「犬は集団による狩りがそれほど得意では無い」(→出典)、「オス犬の生殖能力はオス狼のように季節変動しない」(→出典)など、犬と狼の根本的な違いを示す研究報告もあります。DNAの99%以上が一致しているからといって、「犬と狼は同じ動物である」と考えるのはいくらなんでも強引でしょう。
 今後は「犬は犬、狼は狼」という具合に、両者を別の動物として扱った方が時代の流れに合っていると考えられます。長らく犬が持っていると信じられてきた「階級意識」や「ヒエラルキー」といった概念も、近年ではかなり怪しいとされていますので、犬と狼を同等視することに根差した「ドミナンス理論」が過去の遺物となる日も、そう遠くはないでしょう。 犬の主従・上下関係