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犬や猫の再生医療~幹細胞治療や遺伝子治療を取り巻く法的な問題と注意点

 犬や猫に対して行われる幹細胞治療や遺伝子治療といった再生医療は、法的にどのような問題を抱え、将来的にはどこへ進んでいくのでしょうか?

再生医療とは?

 再生医療とは、人間や動物の体の一部が欠損したとき、幹細胞などを用いてその機能を回復させる治療法のことです。切れた尻尾を自力で再生するトカゲやイモリの能力を、医療の分野で再現したと言えば分かりやすいでしょう。
イモリの前肢再生
 以下でご紹介するのは、切断されたイモリの前肢が再生する様子を示したCG動画です。人類が憧れ続けてきた再生医療の原型がここにあります。 元動画は→こちら
 再生医療に用いられる製品は「再生医療等製品」と呼ばれ、2014年11月25日に施行された「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」(医薬品医療機器等法)の中で以下のような定義付けがなされました(→出典)。
再生医療等製品の定義
「身体の構造や機能の再建・修復・形成」、「疾病の治療や予防」を目的として人間や動物に使用されるもののうち、人間や動物の細胞に培養その他の加工を施したもの。もしくは、人間や動物の疾病の治療に用いられるもののうち、人間や動物の細胞に導入され、体内で発現する遺伝子を含有させたもの。
 再生医療等製品には様々な種類がありますが、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律施行令」の中にある「別表第二」において、以下のように分類されています(→出典)。
再生医療等製品の分類
  • ヒト細胞加工製品ヒト体細胞加工製品 | ヒト体性幹細胞加工製品 | ヒト胚性幹細胞加工製品 | ヒト人工多能性幹細胞加工製品
  • 動物細胞加工製品動物体細胞加工製品 | 動物体性幹細胞加工製品 | 動物胚性幹細胞加工製品 | 動物人工多能性幹細胞加工製品
  • 遺伝子治療用製品プラスミドベクター製品 | ウイルスベクター製品 | 遺伝子発現治療製品

幹細胞の種類と特徴

 再生医療等製品の中に頻繁に登場する「幹細胞」(かんさいぼう, stem cell)とは、動物の体を構成するさまざまな細胞を作り出す「分化能」と、自分とまったく同じ能力を持った細胞に分裂する「自己複製能」を兼ね備えた細胞のことです。どのような組織に分化するかによって、以下のような区分があります(→出典)。
幹細胞の分化能区分
  • 全能性(totipotency)単一の細胞が胚体外の組織も含むすべての細胞に分化することができる能力。具体的には「受精卵」のこと。
  • 多能性(pluripotency)内胚葉(胃の内膜・消化管・肺)、中胚葉(筋肉・骨・血液・泌尿生殖器)、外胚葉(表皮組織・神経系)からなる三胚葉のうち、どの系統にも分化できる能力。具体的には「胚性幹細胞」(ES細胞)、「胚性腫瘍細胞」(EC細胞)、「胚性生殖幹細胞」(EG細胞)、「核移植ES細胞」(ntES細胞, 体細胞由来ES細胞)、「人工多能性幹細胞」(iPS細胞, 誘導万能細胞)など。
  • 複能性(multipotency)前駆細胞から近い系統の細胞にだけ分化できる能力。具体的には「造血幹細胞」、「間葉系幹細胞」など。
  • 少能性(oligopotency)数種類の細胞型にのみ分化できる能力。具体的には「血管幹細胞」、「神経幹細胞」など。
  • 単能性(unipotency)ただ一つの細胞型にだけ分化できる能力。具体的には「筋幹細胞」、「生殖幹細胞」など。
 「再生医療等製品」の中にある人や動物の「体性幹細胞」(たいせいかんさいぼう)とは、生体内にある分化し終えていない細胞のことです。具体的には骨髄から採取される「造血幹細胞」(ぞうけつかんさいぼう)、脂肪から採取される「間葉系幹細胞」(かんようけいかんさいぼう)などがあり、分化能的には「複能性」に属します。成人の組織サンプルから簡単に採取できることから、「成体幹細胞」や「組織幹細胞」とも呼ばれます。 間葉系幹細胞の顕微鏡写真  「再生医療等製品」の中にある「胚性幹細胞」(はいせいかんさいぼう)とは、動物の胚盤胞(はいばんほう=発生の初期状態)の中にある内部細胞塊(将来胎児になる細胞の塊)から、分化能を保ったまま取り出した細胞のことです。「ES細胞」とも呼ばれ、分化能的には「多能性」に属します。成人の体内からは採取できず、胚盤胞を壊す必要があるという点で「体性幹細胞」とは異なります。 ES細胞(胚性幹細胞)の顕微鏡写真  「再生医療等製品」の中にある「人工多能性幹細胞」(じんこうたのうせいかんさいぼう)とは、数種類の遺伝子を体細胞へ導入することにより、胚性幹細胞と同等の分化能を持たせた細胞のことです。「iPS細胞」とも呼ばれ、分化能的には「多能性」に属します。胚盤胞を壊す必要が無いという点で「胚性幹細胞」とは異なり、遺伝子を人工的に導入するという点で「体性幹細胞」とも異なります。 iPS細胞(人工多能性幹細胞)の顕微鏡写真

人間における再生医療

 2014年に「医薬品医療機器等法」が施行されるまで、日本において「再生医療等製品」というカテゴリーは存在していませんでした。近いものとしては、株式会社ジャパン・ティッシュ・エンジニアリングの「ジェイス®」(自己培養上皮, 2007年)や「ジャック®」(自己軟骨細胞, 2012年)という商品がありましたが、当時は「医療機器」という区分で製造と販売の承認を取得しています。 医療機器として承認された自己培養上皮ジェイスと自己軟骨細胞ジャック  医薬品医療機器等法の施行後に承認を受けたものとしては、2016年の時点でテルモ株式会社の「ハートシート®」(2015年9月18日承認, 自己骨格筋由来細胞シート)と、JCRファーマ株式会社の「テムセル®HS注」(2015年9月18日承認, 同種骨髄由来間葉系幹細胞)があります。 医薬品医療機器等法の施行後に承認を受けた再生医療製品  上記商品以外の製品は、「大学等における基礎研究」、「大学・企業等による製品開発研究」、「臨床医師の自己調製材料による診療行為」といった形で、有効性と安全性に関する検証が進行中です(→食品安全委員会)。例えば、「大学・企業等による製品開発研究」のうち、大学におけるヒト幹細胞を用いた臨床研究としては具体的に以下のようなものがあります(→出典)。カッコ内は治療対象としている臓器名です。
ヒト幹細胞臨床研究の例
  • 大阪大学医学部【心臓】虚血性心疾患に対する自己骨髄由来CD133陽性細胞移植
  • 東海大学医学部【椎間板】自家骨髄間葉系幹細胞により活性化された椎間板髄核細胞を用いた椎間板再生
  • 国立循環器病センター【脳】急性期心原性脳塞栓症患者に対する自己骨髄単核球静脈内投与
  • 京都大学医学部【骨】大腿骨頭無腐性壊死患者に対する骨髄間葉系幹細胞を用いた骨再生治療
    【骨】月状骨無腐性壊死患者に対する骨髄間葉系幹細胞を用いた骨再生治療
  • 信州大学医学部附属病院【軟骨】青壮年者の有痛性関節内軟骨障害に対するI型コラーゲンを担体としたヒト培養自己骨髄間葉系細胞移植による軟骨再生
    【骨】青壮年者の四肢良性骨腫瘍および骨腫瘍類似疾患掻爬後の骨欠損に対するβ-リン酸三カルシウムを担体としたヒト培養自己骨髄間葉系細胞移植による骨欠損修復
  • 慶應義塾大学医学部【目】角膜上皮幹細胞不全症に対する培養上皮細胞シート移植
 また「臨床医師の自己調製材料による診療行為」(自由診療)の具体例としては以下のようなものがあります。法律や省令の規制を受ける「治験」や、ガイドラインによる指導を受ける「臨床研究」とは違い、医師による「自由診療」は文字通り自由に行われています。こうした野放し状態の背景にあるのは、「医師の裁量権」と、WMAリスボン宣言における「患者の治療を受ける権利」です。
臨床医師による自由診療の例
  • 豊胸手術皮下脂肪等から分離した自家脂肪由来幹細胞を自家皮下脂肪組織とともに乳房皮下へ移植する。
  • 皮膚のしわ取り培養した自己皮膚由来幹細胞を皮膚のたるみの部分の皮下へ移植する。
  • リンパ球活性化患者から血液を採取してリンパ球を抽出し、薬剤などで活性化した後、点滴などで患者の体内に戻す。

動物における再生医療

 再生医療等製品のうち、主に動物を対象として使用されるものを「動物用再生医療等製品」と言います。世界中で様々な研究報告が行われていますが、 2016年の時点で、日本国内で承認された動物用再生医療等製品は存在していません(→出典)。よって「再生医療」とか「幹細胞治療」を看板に掲げている動物病院(→)があった場合、それらはすべて臨床獣医師の自己調製材料による自由診療ということになります。つまり「有効性と安全性は十分に確認されていないけれども、飼い主の同意があれば治療を行います」というスタンスです。 幹細胞治療では、犬の体内に培養した幹細胞を注射する  動物に対して行われている再生医療の具体例としては以下のようなものがあります。「免疫細胞療法」の方は組織の再生が目的ではありませんが、「疾病の治療や予防を目的として、人間や動物の細胞に培養その他の加工を施したもの」に該当するため、法的には「再生医療等製品」に分類されます。
犬猫への免疫細胞療法
  • 特異的免疫療法まず免疫細胞の一種である樹状細胞を、すりつぶしたガン細胞と一緒に培養することで、そのガン細胞だけを狙い撃ちする能力を与えます。その後、この樹状細胞を増殖させ、体内に戻すことでガン組織だけを特異的に攻撃・縮小させます。「樹状細胞-ガン抗原認識型活性化リンパ球療法」(DC-CAT療法)とも呼ばれます。
  • 非特異的免疫療法まず犬や猫の血液を10~12ml採取し、中に含まれるリンパ球を回収します。次に薬剤によって活性化と増殖を行い、およそ1,000倍に増殖させた後、点滴で体内に戻します。ガン細胞を狙い撃ちするわけではありませんが、免疫力が全体的に高まるため小さなガン組織には有効です。「活性化リンパ球療法」とも呼ばれます。
犬猫への幹細胞療法
  • 骨髄幹細胞療法犬や猫の骨髄液から骨髄幹細胞(造血幹細胞)だけを取り出し、培養・洗浄した後、患部へ直接注射したり、点滴によって体内に投与します。「MSC療法」とも呼ばれます。
  • 脂肪幹細胞療法犬や猫の皮下脂肪から脂肪幹細胞(間葉系幹細胞)だけを取り出し、培養・洗浄した後、患部へ直接注射したり、点滴によって体内に投与します。「ADSC療法」とも呼ばれます。
 造血幹細胞にしても間葉系幹細胞にしても、分化能としては「複能性」しか持っていませんので、前者は血球系細胞に、後者は間葉系細胞(骨・血管・心筋etc)にしか分化できません。「幹細胞療法」の具体的な治療対象としては以下のようなものがあります。
幹細胞療法の適応
  • 骨折した箇所や癒合が不完全な箇所に幹細胞を注入すると、細胞が骨を覆っている骨膜や骨の内部にある骨細胞、または細胞に栄養を運ぶ血管に分化し、骨の修復を早めてくれると考えられています。
    【研究報告例】調査1調査2調査3
  • 脊髄脊髄の損傷部位に幹細胞を注入すると、細胞が血管へ分化して損傷箇所の血流を回復し、神経細胞の伸長を補助したり、骨髄全体の再形成を補助すると考えられています。
    【研究報告例】調査1調査2調査3
  • 関節関節の炎症部位に幹細胞を注入すると、細胞が軟骨芽細胞や血管へ分化して軟骨や椎間板、骨膜の修復を促し、痛みを和らげたり炎症を軽減すると考えられています。
    【研究報告例】調査1調査2調査3

再生医療の問題と注意点

 欧米においては2000年代の半ばごろから、幹細胞治療を始めとする再生医療に対する規制が強化され、人間の患者に対して気安く適用できなくなりました。一方、日本においては2013年まで先進諸国の中で唯一野放し状態になっており、「患者の治療を受ける権利」という名目の元、さまざまな医師が自由診療という形で幹細胞治療を行っていました。しかし医師のレベルは玉石混淆で、「たぶん視力を回復してくれるだろう」という極めて漠然とした思い込みだけで目に幹細胞を注入し、失明させてしまうヤブ医者まがいの人もいたといいます(→出典)。また2015年には、しびれを軽減するために脂肪由来の幹細胞を使った再生医療を受けた70歳の女性が、かえって症状が悪化したとして東京都内の美容外科の院長と担当医に、634万円の損害賠償を求めるという裁判を起こしています。結局この裁判は2015年5月15日、院長らに184万円の支払いを命じるという判決で終結しました(→出典)。
 犬や猫を対象とした獣医療の分野でも医師の自由診療という形で再生医療が行われています。しかし飼い主がしっかりとした知識を持っていない場合、上記したようなトラブルを繰り返してしまう危険性がゼロではありません。真新しい治療法に飛びつく前に、以下のようなポイントは押さえておいたほうがよいでしょう。
幹細胞治療の注意点
  • 治療法の選択肢ある疾患に対する治療法として、本当に幹細胞治療しかないのかどうかを確認します。他に有効な選択肢があるにもかかわらず、「金になる」という理由で高額な幹細胞治療を押し付けてくる獣医師がいないとも限りません。
  • 幹細胞治療の手順幹細胞をどのように採取し、どのように培養して、どのように体内に戻すかを医師に確認します。麻酔のリスクが高い時などは、治療を受けないことが逆に正解になることもあります。
  • 考えられる合併症小動物を対象とした調査でも、人間を対象とした治療でも、肺塞栓により死亡した事例があります。担当医が口頭なり資料なりでしっかり説明してくれることを確認します。聞かないと答えてくれないような場合や、聞いても適当にはぐらかすような場合は、あまり誠実な態度とは言えません。
  • 治療の先例受けようとしている治療に先例があるかどうかを確認します。例えばマウスを対象とした治療例しかない場合、可愛いペットを実験台に供してしまうということになりかねません。
  • その病院の実績同様の治療に関し、その病院がどの程度の実績を持っているかを確認します。できれば成功例、失敗例、無反応例をパーセンテージで示してもらいましょう。しっかりとした病院ならば、そうしたデータを把握してすぐに提示できるはずです。

再生医療の未来

 国内における再生医療の市場規模(臨床・研究・創薬応用の総計)は、2012年で172億円、2020年で945億円、2030年で5,514億円、2040年で1兆1,399億円、2050年で1兆2,847億円と試算されています(→出典)。こうした成長に乗り遅れまいと、2015年12月には富士フイルムとペット保険のアニコムホールディングスが、動物の再生医療を扱う合弁会社を設立しています(→出典)。また2016年8月には、大日本住友製薬の子会社「DSファーマアニマルヘルス」が、「J-ARM」と提携して犬の他家組織由来間葉系幹細胞製剤の共同臨床開発を進め、2018年度をめどに動物用細胞医療製品の申請を目指すことを明らかにしています(→出典)。
 一方規制面では、農林水産省が平成26年度(2014年)から平成30年度(2020年)までの予定で、「動物用再生医療等製品の安全性試験等開発事業」という事業を実施しています。目的は、動物用細胞加工製品の製造や販売承認を申請する際に目安とする、製品の品質や安全性を確保するためのガイドラインを作成することです。例えば2014年には、「動物細胞加工製(同種由来)の品質及び安全性確保に関する指針(素案)」が、動物用ワクチン-バイオ医薬品研究会のウェブサイトで公開されています(→出典)。
 現在、動物や人間を対象とした実験的な幹細胞治療が世界中で着々と進行中です。幹細胞による再生が試みられている部位としては、以下のようなものがあります(→出典)。
幹細胞による再生対象
  • 神経系脳神経細胞(パーキンソン病・アルツハイマー病・筋萎縮性側索硬化症・多発性硬化症・脳梗塞etc) | 脊髄神経細胞(脊髄損傷・ヘルニア)
  • 循環器系心筋細胞(心筋梗塞) | 赤血球(貧血) | 白血球(白血病)
  • 消化器系歯(歯周病) | 膵臓のβ細胞(糖尿病)
  • 感覚器系蝸牛絨毛細胞 | 角膜 | 網膜 | 視神経
  • 筋骨格系骨(変形性関節症) | 軟骨 | 腱や靭帯 | 瘢痕組織(ケロイド・火傷)
  • 生殖器系精子細胞(男性不妊)
 2014年11月、「医薬品医療機器等法」と同時に施行された「再生医療等安全性確保法」では、再生医療がリスクによって3種類に分類されました(→出典)。安全性と有効性が十分に確認された暁には、人医療の現場のみならず、獣医療の現場においても通常の治療行為として導入されていくかもしれません。ただし、治療法に関する研究調査の裏では、非常に多くの犬たちが人為的な障害を負わされたり、治療成果を評価するために殺されたりしています。再生医療がもたらしてくれる恩恵だけでなく、こうした暗い側面にも目を向けなければならないでしょう。
再生医療3種
  • 第1種再生医療ES細胞やiPS細胞など、ヒトに対する治療実績がなく高リスクなもの。
  • 第2種再生医療体性幹細胞など、ヒトに対する治療が現在実施中など中リスクなもの。
  • 第3種再生医療体細胞を加工するなど、リスクの低いもの。