トップ2024年・犬ニュース一覧3月の犬ニュース3月27日

犬の幼齢期ストレスと愛着スタイルの関係~DNAメチル化によるエピジェネティックな影響

 幼齢期ストレスによってDNAにメチル化が起こり、ストレス反応を司るHPA軸の活動性にネガティブな変化が生じることは古くから知られていました。さまざまな来歴をもつ犬でも同様の関連性は見られるのでしょうか。

幼齢期ストレスと遺伝子メチル化

 DNAの塩基配列を変えずに細胞が遺伝子の働きを制御する現象は「エピジェネティクス(epigenetics)」という学問分野で研究されています。その中核となるのがDNAのメチル化で、主として遺伝子発現に対して抑制的に働き、生体にさまざまな変化をもたらします。
 アメリカにあるネブラスカ大学オマハ校心理学部のチームは、犬の幼齢期における体験がDNAのメチル化にどのような影響を及ぼし、結果として犬の愛着スタイルをどのように変化させるかを調査しました。

調査対象

 調査対象となったのは虐待、ホーディング(劣悪多頭飼育)、ペットショップ、パピーミル(悪徳繁殖施設)など過酷な環境下で幼齢期を過ごした犬たち。リクルートに際しては保護施設、レスキュー団体、ソーシャルメディアなどにe-mailやチラシが配布されました。また比較対照群として上記したような幼齢期ストレス(early life stress, ELS)を経験していない犬たちも併せて選抜されました。
 最終的に解析対象となったのはELS群が24頭(オス11+メス13 | 平均4.67歳 | 純血種13+非純血種1)、非ELS群が23頭(オス12+メス11 | 平均4.61歳 | 純血15+非純血8)です。

調査方法

 幼齢期の生育環境とエピジェネティクスとの関連を確かめるため、以下のような検査項目が設けられました。
  • 犬の血液検査DNAに含まれるNR3C1遺伝子およびOXTR遺伝子のメチル化レベルを確認。前者は人及びげっ歯類を対象とした先行調査で幼齢期のストレスとメチル化との関連性が認められている。後者は犬を対象とした先行調査で幼齢期のストレスとメチル化との関連性が認められている。
  • 犬の唾液検査家を出る20分前と行動テスト20分後のタイミングで採取し、中に含まれるコルチゾール濃度の変動を確認
  • 犬の行動テスト飼い主と2分間離れ離れになった後で再会させ、その時のリアクションから愛着スタイル(セキュア/インセキュア)を判定
  • 飼い主へのアンケート犬の幼齢期、来歴、母犬との別れ、刺激への反応性など
 犬の行動テストでは「セキュア」と「インセキュア」が定義され、前者の条件は「飼い主に挨拶してから30秒以内に部屋の探索や遊びに興じる/飼い主に近づかず探索や遊びを続行する」、後者のそれは「飼い主に挨拶してから30秒たっても部屋の探索や遊びを再開しない/固定位置から動かない」とされました。

調査結果

 幼齢期の生育環境、遺伝子のメチル化レベル、犬の行動特性という3項目の関わり合いを統計的に調べた結果、以下のような特徴が浮上してきました。

関わりがあると思われる

✅Region 2におけるOXTR遺伝子のメチル化レベルがELS<非ELS
✅NR3C1遺伝子のメチル化レベルが1単位増加するごとにコルチゾールの変化幅が減少
✅OXTR遺伝子のメチル化レベルが1単位増加するごとにインセキュアのオッズ比が高まる
✅幼齢期環境(ELS)が長い+犬が若齢→NR3C1のメチル化レベル増加
✅幼齢期環境(ELS)が長い+犬が高齢→NR3C1のメチル化減少
✅幼齢期環境(非ELS)は年齢にかかわらずNR3C1のメチル化が少ない
✅ELS犬は非ELS犬に比べ、実験室内に馴化している時間帯に飼い主に接近しやすい
✅インセキュア犬はセキュア犬に比べ、実験室内に馴化している時間帯に飼い主に接近しやすい
✅セキュア犬はインセキュア犬に比べ、再会時に飼い主から離れている時間が長い
✅ELS+NR3C1メチル化レベル高い→OXTRのメチル化レベルに応じて室内馴化期間に飼い主に接近しやすい
✅ELS+NR3C1メチル化レベル高い→OXTRのメチル化レベルに応じて再会期間に飼い主に接近しやすい

関わりがないと思われる

✅ELS犬と非ELS犬のNR3C1遺伝子メチル化総合レベル
✅ELS犬と非ELS犬のコルチゾールの経時変化
✅コルチゾールの経時変化とOXTRのメチル化レベル
✅コルチゾールの経時変化と犬の愛着スタイル
✅NR3C1遺伝子メチル化総合レベルと犬の愛着スタイル
A dog's life: Early life histories influence methylation of glucocorticoid (NR3C1) and oxytocin (OXTR) receptor genes, cortisol levels, and attachment styles
Samantha L. Awalt, Lidia Boghean, David Klinkebiel, Rosemary Strasser, DevelopmentalPsychobiology.2024;66:e22482, DOI:10.1002/dev.22482

DNAメチル化と犬の変化

 今回の調査で焦点となった2つの遺伝子「NR3C1」と「OXTR」は、メチル化による影響が出やすいことで知られています。

NR3C1遺伝子

 NR3C1は糖質コルチコイド受容体の形成に関わる遺伝子。幼齢期ストレスに起因するメチル化が遺伝子発現に対して抑制的に働き、ストレス反応を司るHPA軸の活動性に長期的な変化を及ぼすことは古くから知られていました。
 NR3C1のメチル化(発現抑制)によって受容体の数が減り、糖質コルチコイドの受け皿が減ってストレス経験中の血中コルチゾール濃度が高まることがその原因だと推測されています。結果として発現するのがうつ、児童の社会的・情動的発達への悪影響、幼少期の問題行動、不安うつ障害、海馬の連結減少などです。
 人を対象とした調査では、2.5歳までストレスフルな子育てを受けた幼児では8.5歳時におけるNR3C1のメチル化レベルが高いことや、NR3C1のメチル化レベルが高い青年群ではコルチゾールの回復スロープが平坦(=回復の遅延)で、社会ストレスに対するコルチゾール反応の鈍化が見られるとされています。

OXTR遺伝子

 OXTRはオキシトシン受容体の形成に関わる遺伝子。人を対象とした調査ではメチル化減少(抑制減少=発現解放)によって愛着不安の減少や「セキュア」の愛着スタイル増加、メチル化増加(抑制増加=発現抑制)によって「インセキュア」の愛着スタイル増加、眼窩前頭皮質の異常などが起こりやすいとされています。またOXTRとNR3C1のメチル化がともに増加すると、愛着拒絶、強い自立心、他者との接近を拒むといった行動様式として発現するとされています。さらにボーダーコリーを対象とした調査では、OXTRのメチル化レベルが高いと隠れたり怖がったりする行動が増えるとも。

犬の幼齢期ストレスとメチル化

 NR3C1にしてもOXTRにしても、メチル化によって発現レベルが抑制されると生体にとってネガティブな影響をもたらしうることがわかりました。犬の幼齢期ストレスに着目した今回の調査では、メチル化との関連は見られたのでしょうか?
 統計的に有意と判定された項目を見ると、「幼齢期環境(ELS)が長い」に「犬が若齢」という条件が加わるとNR3C1のメチル化が増加すること、および上記「若齢」が「高齢」に置き換わると逆にNR3C1のメチル化が減少することがわかります。この奇妙な現象は「脊椎動物の器官では加齢に伴いDNA全般でメチル化減少が起こる」という事実に関連しているのかもしれません。人の子供のNR3C1(1F region)を対象とした調査でも、13.23歳まではメチル化が増加するが、それ移行は逆に減少に転じることが報告されています。
 言い換えると犬の年齢が若いほど幼齢期の劣悪環境から強い悪影響を受けやすいとなるでしょうか。
 もう一点注意を引く項目は、「ELS犬」に「NR3C1メチル化レベルが高い」という条件が加わると、OXTRのメチル化レベルに応じて室内馴化期間および再会期間により多く飼い主に接近するようになるというものです。「飼い主に接近する」という行動をどう読み替えるかは難しいところですが、仮にストレスに対するバッファー(緩衝材)としてみましょう。すると幼齢期に過酷な環境で生活していた犬は、NR3C1とOXTRのメチル化レベルが高いほどストレスを感じやすいとなります。
 人を対象とした調査では、OXTRとNR3C1のメチル化がともに増加すると、愛着拒絶、強い自立心、他者との接近を拒むといった行動様式として発現しやすいとされていますので、犬においてはむしろ逆の作用をもたらすのかもしれません。
 「ELS犬と非ELS犬のNR3C1遺伝子メチル化総合レベルに大差がない」という発見や、「OXTR遺伝子(Region 2)のメチル化レベルに関しては非ELS犬の方が高い」という発見は明らかに仮説に反しています。メチル化の人と犬における違いを含め、今後のさらなる調査を重ねていく必要があるでしょう。