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犬のコミュ力と脳の大きさの関係~社会脳仮説の観点から

 人に飼いならされた動物で脳容積の減少が見られる「家畜化現象」は、犬においてどの程度見られるのでしょうか?

犬の脳容積と影響因子

 調査を行ったのはハンガリーにあるエトヴェシュ・ロラーンド大学のチーム。人によって飼い慣らされた家畜動物で脳の容量が小さくなる「家畜化現象」が、犬という動物種においてどのように発現しているのかを確かめるため、祖先種であるオオカミとの比較検証を行いました。

調査対象と方法

 調査対象となったのは大学の解剖学部に保存された様々な犬種に属する成犬の頭蓋サンプル172個(メス38体+オス83体+性別不明50/合計数が合わないが原文ママ)。また脳実質の組織サンプルを保存している「Canine Brain and Tissue Bank」から45犬種に属する合計111頭分のデータ、および過去の文献内で報告されている脳容量のデータを集め、最終的に159犬種865頭分のマスデータを得ました。
 一方、比較対照となるオオカミに関しては7頭の頭蓋サンプルおよび文献内で報告のある48頭分のデータを基礎としました。

調査結果

 収集したデータから脳の容積をシミュレーションしたところ、以下のような結果になりました。
犬とオオカミの脳
頭蓋のCTスキャン画像から脳容積を推測する
  • オオカミ(平均値)・脳容量=131.049cm3
    ・体の質量=30.994kg
  • イエイヌ(平均値)・脳容量=89.367cm3
    ・体の質量=26.112kg
 相対成長スロープを比較したところオオカミよりも犬の方が急峻、言い換えると任意の体重における脳の大きさはオオカミより犬の方が小さいことが判明しました。
 しかし犬にはさまざまな品種が含まれており、体の大きさも千差万別です。そこでオオカミと同じくらいの大きさの犬(22~47kg)だけに限定して比較し直した結果、やはりオオカミの方が脳容量が大きく、その差は24.32%に達したそうです。 体格が等しい犬をオオカミを比較したときの脳の大きさ
 その他、調査チームは「オオカミからの遺伝的な隔たりが大きい(=家畜化が進んでいる)ほど脳の容積が小さくなる」という仮説を検証しましたが、予測とは裏腹に隔たりが大きいほど体の大きさに対する脳の容積が大きくなるという傾向が認められました。さらに脳の容積との関連が予測される犬種カテゴリ、同腹子の数、および寿命との関係性を検証しましたが、統計的に有意なレベルの相関は見出されませんでした。
Evolution of relative brain size in dogs ? no effects of selection for breed function, litter size or longevity
Laszlo Zsolt Garamszegi, Eniko Kubinyi, Kalman Czeibert, Gergely Nagy, Tibor Csorgo, Niclas Kolm, Evolution(2023), DOI:10.1093/evolut/qpad063

社会脳仮説と犬の脳

 犬全体で見た場合、オオカミよりも犬の方が脳容積が小さいことが明らかになりました。この1点にだけ着目すると、犬にもやはり家畜化仮説が当てはまると言えます。
 その一方、オオカミからの遺伝的な隔たりが大きいほど脳の容積が大きいという逆説的な現象も併せて確認されました。なぜこのような現象が起こるのでしょうか?

脳の大きさと社会脳仮説

 脳の容積を大きくする要因としては「攻撃的な個体を選択繁殖する」というものがあります(例:攻撃的なウシは脳が大きい/温和なギンギツネは脳が小さい)。しかしオオカミから遠いところにいる犬たちは凶暴性とは縁遠い愛玩犬種が多く含まれており辻褄が合いません。
 調査チームは「社会脳仮説」が説明の足がかりになるのではないかとしています。これは生態学的環境ではなく、集団内における複雑な社会的環境が脳を急速に進化させたという仮説のことで、簡単に説明すると以下のようになるでしょう。
✅オオカミから遺伝的に遠い位置にいる犬は体が小さな愛玩犬種が多い
 ↓
✅人間と同居する時間が長くなる
 ↓
✅複雑な社会的環境によって社会認知能力が育まれる
 ↓
✅コミュ力が高い犬に対する選択圧が生まれる
 ↓
✅脳容積が大きな個体が繁殖ラインに残る
 この仮説の傍証としては、オオカミに近い犬種では人間による指差しの理解力が弱い、人間からの独立心が強い(解決不能問題に直面しても人を頼らない)、あまり吠えない(人への依存心が弱い)など、コミュニケーションスキルに関する成績が悪さがあります。

脳の大きさと犬種カテゴリ

 脳の容積に影響を及ぼしてもおかしくないものとしては「犬種カテゴリ(複雑な使役作業をこなす犬種では脳が大きいはず)」「同腹子数(晩成性動物では脳が大きいほど1度の出産数が少ない)」「寿命(一般的に脳が大きいほど寿命が長い)」があります。しかし今回の調査では上記した項目と犬の脳容積の間に統計的に有意な関係性は認められませんでした。
 中でも「犬種カテゴリ」は、いかにも脳の大きさに関係ありそうですが、少なくとも犬においては「脳の容積」という項目に影響を及ぼさないようです。仮説としては「使役作業はそもそも脳容積を増やすほどのコストを要求していない」「実はまだ変化の途上にあり、統計差として現れていないだけ」「作業に関する部位が大きくなり、関係ない部位が小さくなることで差し引き0になった」などがあります。
人間において社会とのつながりが少ない「孤独」は、脳卒中や心臓病の発症リスクを1.3倍、認知症のリスクを1.5倍にすると推計しているデータもあります。「社会脳仮説」が示唆するように、社会の中で程よく揉まれることが脳の容積や機能維持に役立っているのでしょうか。