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満月で犬が狂暴になる?

 犬の都市伝説の一つである「満月で犬が狂暴になる」について真偽を解説します。果たして本当なのでしょうか?それとも嘘なのでしょうか?

伝説の出どころ

 「満月になると犬が凶暴になる」という都市伝説は、「月と狂気とが密接に関わりあっている」という迷信から派生したものと推測されます。

月と狂気の結びつき

 「月」と「狂気」がいつ結びついたのかは定かではありませんが、かなり古い起源を持っているようです。古い所では、古代ギリシャの哲学者アリストテレス(BC4世紀頃)やローマの歴史家大プリニウス(AD1世紀頃)が、「人間の脳は体の中で最も多く水分を含んでいるため、潮の満ち引きを作り出す月によって多大なる影響を受けるに違いない」といった発言を残しています。また古代ローマの女神「Luna」を語源とする「luna」(月)には、「lunatic」(狂気に満ちた)や「lunacy」(狂気)という派生語があり、「moonstruck」という言葉には「気がふれた」という意味を持っていることからも、「月」と「狂気」とは密接に関連したものと考えられてきたことがうかがえます。
 以下は、中世イギリスで活躍した劇作家ウィリアム・シェークスピアの悲劇「オセロ」(1604年)の中のセリフです(角川文庫/三神勲訳)。
それは月がくるったせいだな。月が軌道をふみ外して、いつもより地球に近づくと、人の心をくるわせるのだ。
It is the very error of the moon. She comes more near the earth than she was wont. And makes men mad.

満月と狂気の結びつき

 月の中でも特に「満月」と狂気とが結び付けられるようになった裏では、「狼男」関連の映画が決定的な役割を果たしたと推測されます。以下は1900年代前半に製作された、代表的な2作品です。
狼男と満月を結んだ映画
満月と狂気を結び付けるのに寄与した古典映画「ロンドンの狼男」と「狼男」
  • ロンドンの狼男(1935年) 1935年に公開されたアメリカ映画「ロンドンの狼男」(Werewolf of London)は、満月と人間の変身との因果関係を決定づけた最初の文化作品だと目されています。あらすじは以下。
     英国の著名な植物学者・グレンドン博士は、チベット高原で「狼草」と呼ばれる治療薬を探している最中、得体の知れない怪物に襲われてしまう。一命をとりとめた博士は、採取した「狼草」を携えてロンドンへ帰国し、満月の月明かりによって草が花を咲かせるのを待っていた。博士の腕からオオカミのような体毛が生え始めたのは、その夜からだった(→出典)。
  • 狼男(1941年) 1941年に公開されたアメリカ映画「狼男」(The Wolf Man)もまた、「ロンドンの狼男」で採用された「満月と変身」という設定を引き継ぎました。どちらの作品もユニバーサル映画によって製作されたということも関係しているのでしょう。あらすじは以下。
     ウェールズの名門タルボット家の長男が他界したため、急きょ次男のローレンスが後を継ぐこととなった。帰郷したローレンスは、女友達と占い師ベラの元に出かけるが、実はこの女には狼が取り付いており、一行は襲われてしまう。何とか一命は取り留めたものの、噛み付かれたローレンスはその日以来、満月の光を浴びると凶暴な狼男に変身する体になってしまった(→出典)。
 これら2つの映画により、それまでマイナーだった「満月で変身」という設定が一気にメジャーとなり、その他の文化作品にも多大な影響を及ぼすようになりました。例えば日本では、手塚治虫の「バンパイヤ」(1966年)という作品が「主人公のトッペイは月が出ている時に感情が高ぶると狼に変身する」という設定を採用しています。
 冒頭で述べた「満月になると犬が凶暴になる」という都市伝説は、上で紹介した2つの映画が作り出した「満月~変身~狂気」という固定観念から生み出されたものと推測されます。恐らく、「犬と狼は見た目が似ている」とか「犬の祖先は狼である」という客観的事実も、伝説の流布に拍車をかけたことでしょう。

伝説の検証

 狼男を接着剤としてより強固になった月と狂気との結びつきは、特に欧米において信じている人が多く、「月と狂気効果」(lunar lunacy effect)、あるいはドラキュラ伯爵の故郷であるルーマニアのトランシルヴァニアに因んで「トランシルバニア効果」(Transylvania effect)といった独特の言い回しがあるくらいです。また、信奉者が多いせいか、月と狂気との結びつきを学問的に証明しようと試みた数多くの研究も残されています。以下では「ある派」と「ない派」の代表的な調査結果をご紹介します。

「月と狂気効果」はある派

 満月と動物による咬傷事故の関連性を調査した結果、「何らかの関連がある」という結論に至った研究がいくつかあります。以下はその代表格です。
「月と狂気効果」の証拠
  • イギリス 1997年1月1日から1999年12月31日の間、イギリス国内の総合病院「Bradford Royal Infirmary」に咬傷事故で運ばれてきた人を対象に調査を行った。対象者は年齢も性別もバラバラな1,621人で、56人は猫、11人はネズミ、 13人はウマ、1,541人は犬による咬傷だった。咬傷事故の件数は、満月に合わせて著しく増加した(→出典)。
  • アメリカ 1992年から2002年の間に発生した、合計11,940件に及ぶ咬傷事故を調査した。その結果、犬によるものが9,407件、猫によるものが2,533件あり、月相でいうと「上弦月-満月-下弦月」における事故件数が、犬で1.59倍、猫で1.13倍に増えた(→出典)。

「月と狂気効果」はない派

 満月と動物による咬傷事故の関連性を調査した結果、「何の関連もない」という結論に至った研究もたくさんあります。以下はその代表格です。
「月と狂気効果」の反証
  • オーストラリア 1997年6月から1998年7月までの間、オーストラリア国内の総合病院に犬による咬傷事故で来院した患者を対象に調査を行った。対象者は男性938人と女性733人からなる1,671人で、調査期間中12のピークが観察されたが、そのどれも満月とは無関係だった。それどころか、満月の夜における咬傷事故平均4.6件は、非満月における咬傷事故平均4.8件よりもわずかに下回るという結果になった(→出典)。
  • ギリシャ ギリシャ国内において、救急医療部門に犬による咬傷事故で来院した人の数を調査した。その結果、「平日よりも週末の方が1.19倍多い」、「冬よりも夏の方が1.24倍多い」、「冬よりも春と秋の方が1.31倍多い」という関連は見出されたものの、月の満ち欠けと咬傷事故との間には、何の関連性も見出されなかった(→出典)。
  • フランス フランスのマルセイユで245人の咬傷事故患者を対象に調査を行ったところ、季節、曜日、学期、風速、気温、月の満ち欠けと咬傷事故との間には、何の関係も見いだせなかった(→出典)。

で、結局どっちなの?

 「月と狂気効果」は、上で示したような相反する証拠により実在がよくわかっていません。ですが、アメリカの老舗科学雑誌「Scientific American」は「存在していない」という立場を取っているようです。2009年の「狂気と満月」(Lunacy and the Full Moon)という記事の中では、いくつかの論拠を挙げながらこの説の存在を明確に否定しています(→出典)。
「月と狂気効果」の否定論拠
  • ジョージ・アベル氏 元宇宙飛行士、ジョージ・アベル氏(George Abell)は、月の引力が人体に及ぼす影響は想像以上に小さいとして「月と狂気効果」の存在を否定しています。同氏によると、月の引力は湖や海など開けた水面にしか作用せず、仮に人体に作用したとしても、月による影響より腕に停まった1匹の蚊の方がより強い影響を及ぼすとのこと。
  • ジェームズ・ロットン氏 1985年、ジェームズ・ロットン氏は公式と非公式とを含めた合計37の研究報告を元にしてメタ分析を行いました。その結果、「月は人間に対して何の影響も持っていない」との結論に至ったといいます。同氏はこのことをシェイクスピアの戯曲「から騒ぎ」(Much Ado About Nothing)にからめて「満月のから騒ぎ」(Much Ado about the Full Moon)と揶揄的に呼んでいます(→出典)。
 上記したように、科学的な見地から「月と狂気効果」を検証した場合、存在しないという方に傾いてしまうようです。

伝説の結論

 根強い人気を誇る「月と狂気効果」ですが、数々の反証や科学的な論駁(ろんばく)から考察する限り、あまり大声で言いふらしてはいけないタイプの都市伝説に属するようです。しかし、逸話的に聞かれる「満月の夜に動物による咬傷事故が増えた」という現象は、一体どう説明するのでしょうか?実はこの疑問に対しても、いくつかの理論的な解釈が可能です。
月と狂気の理論的解釈
  • 月明かりの効果 満月が体内の水に働きかけて狂気を引き起こすのではなく、単純に、満月の月明かりが動物の活動性を高めているという可能性があります。例えば1982年、「満月の夜は交通事故」の数が多くなるという報告がなされました。しかしこの研究は「満月の夜は比較的明るいので夜中に車を運転する人が多い」という単純な事実を見逃していたようです。満月の夜と満月では無い夜の自動車の運転者数を同一であると仮定して計算し直したところ、交通事故の発生率に違いは見られなかったといいます(→出典)。
  • 錯誤相関 1967年に心理学者ローレンとジェーン・チャンプマン夫妻が提唱した「錯誤相関」(さくごそうかん, illusory correlation)も都市伝説の形成に関わっているかもしれません。これは「ある出来事とたまたま同じ場所にあったり、たまたま同時に起こった事が非常に印象的であった場合、両者の間に相関関係があると早合点してしまう」という心理現象のことです。例えば「犬や猫が人を襲う」という出来事があり、その日がたまたま月に数日しかない「満月」だったりすると、「満月が動物を狂気に駆り立てたんだ!」と解釈してしまうなどです(→出典)。
 上記したような解釈が可能である以上、「満月になると犬が凶暴になる」という散発的なエピソードを頭ごなしに信用するわけにはいかないようです。今のところ、「月と狂気」仮説はニセ科学であると言われても仕方ないでしょう。 満月になると犬が凶暴になるという都市伝説はニセ科学に近い  「今のところ」という但し書きをつけた理由は、将来的にニセ科学から科学に昇進する可能性がゼロではないからです。一般的に、身体と感情と知性には一定の周期があるとする「バイオリズム仮説」はニセ科学として扱われていますが、「時計生物学」の方は普通の科学として扱われます。「時計生物学」とは、生物の体内に内在している時計的な機能を対象として研究する学問分野のことであり、調査手法の目覚ましい発展に伴い、実際「時計細胞」や「カレンダー細胞」とでも言うべき特殊な細胞が、脳内に存在していることが近年確認されています。以下は一例です。
時計生物学
  • 概日リズム 「概日(がいじつ)リズム」(サーカディアンリズム, circadian rhythm)は約24時間周期で変動する生理現象のことです。2015年10月、シンガポールとアメリカの共同チームは、サーカディアンリズムのスイッチは、脳の特殊な部位においてリン酸化が起こり、このリン酸化が「PER2」と呼ばれるタンパク質に作用して切り替えられることを突き止めました。チームはこのスイッチのことを便宜上「リン酸スイッチ」(phosphoswitch)と呼んでいます(→出典)。
  • 概年リズム 「概年(がいねん)リズム」(サーカニュアル, circannual rhythmm)は約1年周期で変動する生理現象のことです。2015年9月、イギリスの研究チームは脳下垂体の「降起葉」と呼ばれる部位の中に、1年周期で体内のバイオリズムを調整する「カレンダー細胞」を発見しました(→出典)。
 さらに研究が進めば、生体を約30日周期でつかさどる「概月リズム」(circalunar rhythm)の証拠も、脳内のどこかで発見されるかもしれません。そうなれば「満月になると○○○」といった類のエピソードも、あながち嘘とは言い切れなくなるでしょう。