トップ有名な犬一覧日本国内で有名な犬チロリ

チロリ

 捨て犬という逆境を乗り越え、日本初のセラピードッグとして活躍した犬「チロリ」について解説します。

チロリとは?

 チロリは、捨て犬という逆境を乗り越え、日本初のセラピードッグとして活躍した犬。
元々は捨て犬だったチロリ  アメリカを拠点にブルースシンガーとして活躍する大木トオルさんは、1992年のある日、仕事の都合で日本に一時帰国していました。彼が廃墟の裏を歩いていると、犬を取り囲む子供たちを偶然目にします。そばに近寄って確認したところ、それは捨てられた母犬と5頭の子犬でした。
 小さい頃から犬好きだった大木さんは、犬たちを放っておけず、仕事の合間を縫って里親探しに奔走しました。その甲斐あって、子犬たちには全て貰い手が付きます。残ったのは、2歳程度と思われる、足に障害を持った雑種の母犬だけでした。大木さんは、当時自費で運営していたセラピードッグの訓練センターに彼女を連れて行き、飼うことを決意します。セラピードッグとは、特殊な条件をクリアし、心や体に病を抱えた人たちの手助けをする犬たちのことです。しかしこのときはまだ、チロリを訓練する予定はなかったといいます。
 チロリの素質が明らかになったのは、彼女がセンターに来てから2ヶ月ほど経った頃でした。大木さんはある日、末期がんを患っているシベリアンハスキーの横で、寄り添うように寝そべっているチロリの姿を目撃します。「犬を介護する犬」の姿に感動した彼はこの時、彼女をセラピードッグとして訓練することを決意しました。
セラピードッグになるため、チロリは50以上の過程をクリアした  訓練を始めたチロリは物覚えがよく、他のどの犬よりも早く課題をクリアしていったといいます。ただし苦手なこともありました。それはステッキ状のものです。「棒で虐待されたことがある」とにらんだ大木さんは、自分とチロリの間にステッキを置いて眠ることで、彼女の苦手意識を見事克服します。こうしてチロリは50以上の教育課程を修了し、晴れて日本初のセラピードッグとなりました。
 セラピードッグとなったチロリはその後、医療機関や福祉施設において笑顔を忘れた人やリハビリを諦めた人に元気を与えることに務めました。するとその評判が徐々に広がり、全国から訪問依頼が殺到するようになります。彼女の尽力もあり、2003年にはセラピードッグの育成・派遣・普及・啓蒙活動を専門的に行う国際セラピードッグ協会が誕生しました。
最期は大好きな大木さんに見守られながら息を引き取ったチロリ  「国際セラピードッグ協会」が新設されて以降、チロリの後輩犬が続々と誕生するようになりました。しかし、セラピードッグの認知度も徐々に高まりつつあった2005年12月、チロリに乳ガンが発覚します。懸命の治療もむなしく、発覚からわずか3ヵ月後の2006年3月16日、チロリは大木さんに見守られながら静かに息を引き取りました。享年推定16歳。
 セラピードッグの普及に貢献したチロリの功績を称え、2007年5月には東京都中央区の「築地川銀座公園」に、彼女と子犬たちの銅像が建立されています。また2013年7月には、チロリをフィーチャーした「チロリカフェ」が、東京都江東区にあるヴィーナスフォート1階にオープンしました。 名犬チロリ 国際セラピードッグ協会

チロリの写真

 以下でご紹介するのは、捨て犬という逆境を乗り越え、日本初のセラピードッグとして活躍した犬「チロリ」の写真です。 日本発のセラピードッグとなった名犬チロリ
 折れた左耳が特徴のチロリ。大木さんがチロリを動物愛護センターから保護したのは、殺処分の当日だったという。なお、チロリの物語に関しては名犬チロリ 日本初のセラピードッグになった捨て犬の物語に詳しい。写真の出典はこちら
築地川銀座公園内にあるチロリと子犬たちの銅像
 2007年5月、東京都中央区の築地川銀座公園に、チロリと子犬の銅像が建立された。チロリは生前、中央区の病院や医療施設でアニマルセラピー活動を行っていた。写真の出典はこちら