トップ有名な犬一覧騒動を引き起こした犬ブラウンドッグ

ブラウンドッグ

 イギリス国内において、動物の生体解剖に関する論争の火種となった犬「ブラウンドッグ」について解説します。

ブラウンドッグとは?

 ブラウンドッグ(Brown Dog)は、イギリス国内において、動物の生体解剖に関する論争の火種となった犬。
ロンドン大学で茶色いテリア犬の生体解剖講義を行ったウィリアム・ベイリス  後に「ブラウンドッグ事件」(1903~1910)と呼ばれるようになる大騒動の発端となったのは、1903年にロンドン大学で行われた生体解剖講義でした。当時のイギリスでは「動物虐待規制法1876」(Cruelty to Animals Act 1876)がすでに制定されており、動物を生体解剖に付するときの手順やルールが定められていました。しかしこの講義で教鞭をとっていたウィリアム・ベイリスは、「犬にしっかりとした麻酔をしていなかったのではないか?」という疑いを持たれ、スウェーデンの女性活動家から激しく糾弾されます。大学内で起こったこの悶着は裁判にまで発展し、最終的にはベイリス側が勝訴したものの、後味の悪い余韻を残しました。
 医学部に通う大学生たちの暴動を促したのは、裁判から3年後の1906年、ロンドン南部のバタシー地区に設置された1つの銅像でした。この銅像は、ベイリスによる非人道的な所業を風化させまいと、生体解剖反対派が建立したもので、モデルには講義で犠牲となった茶色のテリアが選ばれました。さらに、銅像に取り付けられた銘板には、以下に示すような挑発的な文言が刻まれていたといいます。
 1903年2月、2ヶ月にも及ぶ生体解剖を耐え忍び、ロンドン大学の研究室で死に追いやられたブラウンテリアが、ようやく安らぎを得たことをを記念して。また1902年、同研究室で犠牲となった232頭の犬を記念して。イギリス国内の皆さん、一体いつまでこんなことを続けるのでしょうか?
ロンドン大学の医学部学生を中心として行われた、1000人規模の暴動  この挑発に乗ったのが、ロンドン大学医学部の学生たちです。銅像の設置や銘板の文言を、大学や医学に対する侮辱ととった彼らは、1907年11月、10人の医学生による銅像破壊事件を皮切りに、翌12月には1,000人規模のデモをロンドン中心部で展開しました。この暴動は翌日には収まりましたが、これ以降、イギリス全土で生体解剖推進派による暴動が相次ぐようになります。
 バタシー地区では、大規模な暴動は終息したものの、その後も「ブラウンドッグ像」を壊そうとする輩が相次いだため、24時間体勢で見張りをつけることを余儀なくされました。この警護に要する出費を重く見た当時のバタシー議会は、1910年3月、とうとう銅像の撤去を決定します。生体解剖反対派はこの決定に対し、2万にも及ぶ署名を提出しましたが、実質的に黙殺される形となりました。この銅像撤去をきっかけとして、反対派と擁護派の表立った争いごとは、ようやく鳴りを潜めていきます。
 暴動の端緒となったバタシー地区に再び銅像が建立されたのは、「ブラウンドッグ事件」から70年以上経った1985年のことです。「国立反生体解剖協会」によってバタシー公園に設置されたこの像の銘板には、かつての文言の他に以下のような文章が付け加えられました。
 動物実験は、私たちが生きている時代における最大の道徳的問題であり、文明社会においては全く不必要なものです。1903年には、イギリス国内だけで19,084匹の動物たちが犠牲となりました。そして1984年には3,497,355匹の動物たちが苦しみを味わっています。
1985年、バタシー公園内に設置された二代目「ブラウンドッグ」像  しかしこの銅像も、1992年に一度撤去を余儀なくされました。表向きの理由は「公園の改修」ということでしたが、これを不審に思った生体解剖反対派が交渉したところ、1994年に再び設置が許可されています。ただし前回よりも人目につかない「散策路の中なら」という条件付きで。
 今も昔も「ブラウンドッグ」の銅像は、イギリス国内における生体解剖反対派と推進派の争点を象徴する存在となっています。 BrownDogAffair

ブラウンドッグの写真

 以下でご紹介するのは、イギリス国内において、動物の生体解剖に関する論争の火種となった犬「ブラウンドッグ」の写真です。 1903年当時の、生体解剖講義の様子
 1903年、後にホルモン発見などの功績を上げるウィリアム・ベイリスは、ロンドン大学において約60名の学生を前に、犬の生体解剖講義を行った。この講義を聴講していたスウェーデンの女性活動家は、犬がもぞもぞと動く様子を見て「ひょっとすると、麻酔が効いていないのではないか?」との疑念を抱く。これが「ブラウンドッグ事件」の発端となった。写真の出典はこちら
「ブラウンドッグ事件」の発端となった茶色いテリアの銅像
 1906年、ロンドンのバタシー地区に設置されたこの銅像の銘板には「皆さん、いつまでこんな(野蛮な)ことを続けるのですか?」という、医学関係者の感情を逆なでするような文章が刻まれていた。ベイリス裁判の後、悶々とした気分を味わっていた医学部の学生たちは、この挑発でとうとう行動に移った。写真の出典はこちら
1907年12月10日に行われた「反犬派」によるデモ
 1907年12月10日、茶色い犬の肖像画を棒に付けた人々がロンドンの中心街を練り歩いた。その規模は1,000人を超えていたという。「ブラウンドッグ事件」最大の暴動と呼ばれるこのデモでは、生体解剖推進派である学生たちと、反対派である婦人参政権論者や労働組合員とがぶつかり合った。写真の出典はこちら
1985年に設置された新しい「ブラウンドッグ」の銅像
 1985年、ニコーラ・ヒックスによって製作されたこの銅像は、彼のペットをモデルにしているという。1992年には一度撤去されたものの、生体解剖反対派の嘆願を受けて1994年に復活した。銘板には、初代の銘板にはなかった新たな文章も付け加えられ、生体実験の非道徳性を訴えている。写真の出典はこちら