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オキシトシンが人と犬をつなぐ?

 犬の都市伝説の一つである「オキシトシンが人と犬をつなぐ」について真偽を解説します。果たして本当なのでしょうか?それとも嘘なのでしょうか?

伝説の出どころ

 「オキシトシンが人と犬をつなぐ」という都市伝説が生まれた背景には、オキシトシンが「恋愛ホルモン」とか「愛情ホルモン」と呼ばれ、盛んにもてはやされたことが関係していると考えられます。
 そもそも「オキシトシン」(Oxytocin)とは、動物の体内である特定の調整を行う微量物質「ホルモン」の一種で、9つのアミノ酸から構成されている分子です。1900年代初頭、ヘンリー・デイルが妊娠中の猫を用いた調査で発見し、子宮の収縮を促進する働きを持っていたことから、ギリシア語で「迅速な出産」を意味する「オキシトシン」と名付けられました。その後、数十年にわたって鳥類や哺乳類を用いた数多くの調査が行われ、すべての哺乳類において構造が同一であること、および実に多彩な生理機能を有していることが明らかにされてきました。以下はその一例です。

動物に対するオキシトシン効果

 以下は、主にラットにおいて確認されたオキシトシンの生理作用です。子宮の収縮や乳腺の収縮といった筋肉に働きかける作用の他に、母性や社交性といった内面に働きかける作用も併せ持っていることがうかがえます。
ラットに対するオキシトシン効果
  • 母性行動 メスのラットの脳室内にオキシトシンを投与すると、出産経験がないにも関わらず母性行動を誘発する。
  • 社交性 オスとメスのラットにオキシトシンを投与すると攻撃性が低下し、社会的相互作用が増加する。
  • 抗不安作用 脳内へ低容量のオキシトシンを投与すると、ラットやマウスにおいて抗不安作用が誘発される。
  • 痛みへの感度 オキシトシンを投与されたラットでは痛みに対する閾値が増加し、我慢強くなる。
  • 血圧調整 オキシトシンを脳室内に投与すると、血圧は一時的な立ち上がりを見せた後に数時間低下を示す。
  • 心拍数 副交感神経コリン作動性ニューロンの活性化によって脈拍数を低下させる。
  • 同化作用 副交感神経と迷走神経系の一部の機能を高めて消化管の内分泌系機能を制御し、消化機能の強化と貯蔵、成長、回復のための栄養利用を効率化する。ペットへの愛着(緑書房)

人間に対するオキシトシン効果

 人間を対象とした様々な調査により、オキシトシンは人間に対しても多彩な生理作用を示すことが確認されています。以下でご紹介するのはそのうちのほんの一部です。ラットの場合と同様、オキシトシンは人の社交性を向上させ、相手に対する寛容さや信頼の向上を促す働きを持っているようです。
人に対するオキシトシン効果
  • Heinrichsらの調査(2003年) オキシトシンには社会的サポート同様、人間のストレス反応に対する緩衝作用がある(→出典)。
  • Kirschらの調査(2005年) オキシトシンには扁桃体の活動を抑制し、恐怖心を和らげる働きがある(→出典)。
  • Guastellaらの調査(2008年) オキシトシンには人間の顔のうち特に目の領域に対する集中力を高める効果がある(→出典)。
  • Zakらの調査(2008年) オキシトシンには人と人の間の信頼感を強める働きがある(→出典)。
 数あるオキシトシンの生理作用の中でも特に感動的なのは、母親と赤ちゃんとの間で見られる働きです。分娩中の母親の体内では、感覚神経の活性化(ファーガソン反射)や新生児の頭によって生じる頸部の圧力によってオキシトシンの放出が促されます。こうして血中に放出されたオキシトシンは、母体の痛みを軽減すると同時に、脳内に作用して痛みの記憶をそれほど不快でないものに書き換えます。さらに脳内から放出されたオキシトシンは母親の母性を高め、赤ちゃんに対する愛おしさを増強したり、出産後の不安レベルを緩和したりします。やがて生まれた赤ちゃんがお母さんのお乳に吸い付くと、胸に分布する感覚線維が活性化され、90秒間隔でオキシトシン分泌のピークが血中に現れて乳汁の分泌が促されます(射乳反射)。さらに血液中に循環する高濃度のオキシトシンにより、母親の胸部血管が拡張して体温が高まり、胸に抱かれた乳児は母親の温もりを感じながら思う存分哺乳することができるようになります。つまりオキシトシンは、母親と赤ちゃんがくっついて離れないようにする「抱っこひも」としての役割を果たしているのです。 Mary Cassatt/Baby John Being Nursed(1910)  オキシトシンが持つ長期的効果も特筆に値します。母乳で育てた女性は、人生後年になってから心筋梗塞、脳卒中、2型糖尿病といった疾患のリスクが低下するといいます。また、産後すぐに母親と子供に皮膚と皮膚の接触をさせると、母子は数ヶ月間、より積極的に触れ合うようになり、子供が1歳になった時、より繊細で相互的な母子交流をするようになるとのこと(早期感受期)。
 上記したように、母親と赤ちゃんの間に存在する愛情は、オキシトシンによって増強されるようです。そしてこの「愛情をはぐくむ」という印象深い働きから、いつしか「オキシトシン=恋愛ホルモン」や「オキシトシン=愛情ホルモン」といったロマンチックな表現が生み出され、耳触りの良さも手伝って瞬く間に広まっていきました。「オキシトシンは人間と犬をつなぐ」といった表現も、恐らくオキシトシンが持つ「愛情ホルモン」という側面に着想を得て生み出されたものと推測されます。

伝説の検証

 オキシトシンの分子構造はすべての哺乳類で共通しているため、ラットや人間で確認されている生理作用は、当然犬にもあるだろうと考えられてきました。この仮説を検証するため、主に2000年以降になってから非常に多くの研究が行われています。以下はその一例です。
犬とオキシトシンの研究調査
  • Handlinらの調査(2011年) 10名の女性と女性が飼っているオス犬を対象とし、3分間だけ人間が犬をなでたり話しかけたりして交流を持った後、ホルモンや心拍数にどのような変化が生じるかが検証された。その結果、犬においても人においても、交流の1~5分後に急激なオキシトシン濃度の上昇が確認された(→出典)。
  • Romeroらの調査(2014年) オキシトシンを投与された犬では、犬に対してのみならず、人間に対しても友好的行動や社会的な接近行動が多くなった(→出典)。
  • Kisらの調査(2014年) 10頭の犬に対してオキシトシンと偽薬とを投与したところ、オキシトシン投与グループにおいて、心拍数の低下と心拍数変動の増加が観察された(→出典)。
  • Kisらの調査(2014年) ジャーマンシェパード104頭とボーダーコリー103頭を対象とし、さまざまな状況における社会的な行動がモニタリングされた。行動の結果とオキシトシンレセプターの変異を調査したところ、レセプターの変異は「飼い主や見知らぬ人間に対する近づこうとする行動」や、「見知らぬ人間に対する友好性」に影響を及ぼすことが判明した(→出典)。
  • Nagasawaらの調査(2014年) オキシトシンを犬に投与したところ、人の顔を見つめるという行動が増加し、この行動は逆に人間の尿中オキシトシン濃度を上昇させた。オキシトシンを介したこのポジティブループは、犬と人間が互いに支えながら共進化してきたとする仮説を支持する(→出典)。
  • Olivaらの調査(2015年) オス31頭とメス31頭からなる合計62頭の犬を4つのグループに分け、オキシトシンと偽薬とを投与して「瞬間的な指さし合図」、および「視線を用いた合図」に従わせるというテストが行われた。その結果、オキシトシンを投与された犬では、「指さし合図」の成績が高まり、この増強効果は5~15日の間隔をあけても維持された。また人間の視線を避ける傾向が減弱することにより、間接的に「視線を用いた合図」における成績も良くなった(→出典)。
 上記したような結果から考えると、オキシトシンは犬の体内において人間に対するのと同じような生理作用を発揮するようです。特筆すべきは、体と体が触れ合うような交流のみならず、「お互いに見つめ合う」という行動だけでオキシトシンレベルが高まるという事実です。目と目が合ってお互いに好感を抱くようになるというのは、「愛情ホルモン」の本領発揮といったところでしょう。

伝説の結論

 過去に行われた様々な調査により、オキシトシンは母親と子どもをつなぐのみならず、同じ種に属する動物同士、そして種を超えた動物同士を結びつけ、お互いに対する信頼感を高めることがわかりました。ですから「オキシトシンが人と犬をつなぐ」という都市伝説は本当と言えるでしょう。 見つめ合いや触れ合いを通して分泌されたオキシトシンは犬と人の間の絆を強める  しかしオキシトシンを「愛情ホルモン」や「恋愛ホルモン」と呼んでよいかどうかは別問題です。例えば著名な脳神経学者であるヤーク・パンクセップ博士は著書「Archaeology of Mind」の中で、「オキシトシンの主たる役割は不安を軽減することであり、信頼感の向上や個体間の結びつきの強化は、その結果に過ぎない」との考えを示しています。また近年行われた調査により、社会的コミュニケーションに問題を持つ自閉症は、受容体遺伝子の変異により、オキシトシンの不安軽減効果がうまく発揮されないことが一因ではないかといった可能性も示されています(→出典)。彼らの説にのっとると、オキシトシンは媚薬というよりむしろ、抗不安薬に近いのかもしれません。どちらが正しいにしても、犬と人間の間で形成される「ヒューマンアニマルボンド」(Human Animal Bond)に、この不思議なホルモンが関わってる事は間違いないでしょう。
 上記「ヒューマンアニマルボンド」をより一層強めるための、非常に簡単かつ確実な方法があります。それは「触れ合い」です。オキシトシンの分泌を促す因子には、分娩や授乳のほか、摂食、視覚刺激、聴覚刺激、嗅覚刺激、触覚刺激などがあります。特に最後に挙げた触覚刺激は重要で、素早く情報を伝達する有髄性Aβ線維や、ゆっくりと情報を伝達する無髄性C線維によって脳に伝達された触覚刺激が、満足感に関連する皮質部位を活性化させることが確認されています(→出典)。このリラックス効果は、恐らくPVN(視床下部の室傍核)に由来するオキシトシン作動性線維から放出されたオキシトシンによって、PAG(中脳水道周囲灰白質)、LC(青斑核)、扁桃体が影響を受けて生じるものと推測されていますが、まだ確かなことは分かっていません。
 理屈はさておき、さまざまな比較研究を通じて確認された触れ合い(マッサージ)の効果を、「触覚刺激」と「オキシトシン」というキーワードを通して見直してみると、すんなりと理解できるのは興味深い所です。
触れ合いのもたらす効果
  • 社会的相互作用促進し、個人間の愛着を増加させる
  • コルチゾール濃度の低下をもたらす
  • マッサージを受けた未熟児は体重増加を示し、受けなかったグループよりも早く発達する
  • 満足感を誘発し、攻撃性を低下させる
  • 夫婦間の対立を解消する
 上記したように触れ合い(マッサージ)には、触覚刺激を通じてオキシトシンの分泌を促し、信頼感や多幸感を生み出すといった効果があると考えられています。また、病気の徴候を早期発見するという極めて重要な役割も併せ持っていますので、ぜひ日課にして頂ければと思います。以下に関連ページを示しますのでご参照ください。 犬のマッサージ