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犬にも利き手がある?

 犬の都市伝説の一つである「犬にも利き手がある」について真偽を解説します。果たして本当なのでしょうか?それとも嘘なのでしょうか?

伝説の出どころ

左右どちらか一方の器官を優先的に使う「側性」(Laterality)はあらゆる動物種で観察される  「犬にも利き手がある」という都市伝説の出どころは、脊椎動物で広く認められている「側性」(そくせい, Laterality)という現象だと考えられます。「側性」とは、左右対象に存在している器官のどちらか一方を優先的に使う現象のことで、一例としては片方の目を優先的に使う「利き目」、片方の耳を優先的に使う「利き耳」、そして片方の手を優先的に使う「利き手」などが挙げられます。この現象は、人間を始め鳥類や魚類と言った動物でも見られる極めて普遍的なものです。具体例としては以下のようなものがあります。
いろいろな動物の側性
  • 魚類 他の魚のウロコをエサとする「Perissodus microlepis」という種には、口が右向きの個体と左向きの個体がいる(→出典)。
  • 鳥類 オウムが足で何かをつかむとき、左足を使う傾向がある(→出典)。
  • 両生類 ヨーロッパヒキガエルは、外敵が右側よりも左側から現れた時のほうが、激しい逃避反応を示す(→出典)。
  • 哺乳類(ネズミ) 幼い頃にハンドリングを受けたネズミでは、ひらけた場所に置かれた時、左側に行く傾向があるが、ハンドリングを受けなかったネズミではこうした傾向が見られない。また、左脳を取り除くと左側に行く傾向が見られるが、右脳を取り除いても右側に行く傾向はそれほど見られない(→出典)。
  • 哺乳類(チンパンジー) チンパンジーの利き手を調査するため、ピーナツバターを入れたチューブをどちらの手で取り出すかを観察しところ、右利きの母親から生まれた子供が右利きである確率には46~86%という大きな幅があった(→出典)。
  • 哺乳類(ヒト) 両親とも右利きの場合、生まれてくる子供が左利きである確率は7.6%、片方の親が左利きである場合は19.5%、そして両方の親が左利きである場合は54.5%だった(→出典)。
 このように側性という現象は、人間のみならずいろいろな動物で観察される極めて普遍的なものです。「犬にも利き手がある」という都市伝説が生み出された背景には、「人間からはるかに遠い種である魚や鳥にあるのなら、当然犬にもあるだろう」という、単純な憶測があるものと推察されます。

伝説の検証

 人間からカエルに至るまで、様々な脊椎動物で広くみられる「側性」は、果たして犬にもあるのでしょうか?この疑問を検証するため、幾つかの調査が行われてきました。

犬に側性は存在している?

 過去に行われた調査により、犬にも確かに「側性」が存在していることが確認されています。以下はその結果です。
犬の側性
  • 利き足 犬とナキウサギを対象とし、動き出しでどちらの足を好んで用いるかを観察したところ、右か左どちらか一方の足を他方の2倍以上用いるという「利き足」のような現象が確認された。ただし左右どちらを用いるかには個体差があるようだ (→出典)。
  • 利き鼻 犬の匂い嗅ぎ行動を観察したところ、嗅ぎ始めはまず右の鼻腔を使い、慣れてくると左の鼻腔も使うようになるという傾向が確認された。嗅神経は交差していないので、嗅覚に関しては右半球が優位であると考えられる(→出典)。
  • 利き脳 犬に雷の音と犬の声を聞かせ、音刺激に対する半球の左右差を調査したところ、「雷の音」は右半球で、「犬の鳴き声」は左半球で処理される傾向が強かった。ただし、犬の鳴き声が何らかの感情を喚起する場合は、左半球から右半球に処理中枢が移行した。右半球は怒り、恐怖などの感情が生じたとき優先的に使用され、左半球は感情を介さずに情報を処理するとき、優先的に使用されると推測される(→出典)。
  • 利き目 餌を食べている最中の犬に対し、「イヌ」、「ネコ」、「ヘビ」のシルエットを提示したところ、犬は左の視野に入ってきたものに対してより鋭い反応を示すという傾向を示した。特に「ネコ」と「ヘビ」のシルエットに対しては反応が早く、また食事を再開するまでの時間も長く要した(→出典)。
 上記したように、犬にも「側性」が存在していることは確かなようです。嗅覚の動物という高名を反映してか、「利き鼻」らしきものもあるというのは興味深い点ですね。

犬に利き手はある?

鼻についたテープを左右どちらの手で取るかによって犬の利き手を調べる  上のリストで記載されていなかった「利き手」に関してはどうなのでしょうか?実は犬の利き手に関しても様々な調査が行われており、やはりどちらか一方の手を優先的に用いるという傾向が確認されています。以下は過去に行われた調査の一部です。なお、犬は四足動物であるため「利き手」という表現を用いるのは変ですが、ここでは便宜上、右の前足を「右手」、左の前足を「左手」として扱います。
犬の利き手(利き前足)
  • Tanらの調査(1986年) 28匹の犬を対象とし、「目にくっついたゴミをどちらの手で取るか?」が観察された。その結果、右利きが57.1%、左利きは17.9%、利き手なしは25%という内訳になった(→出典)。
  • Wellsらの調査(2003年) 53匹の犬を対象とし、前足を用いる3つのタスクを行わせた。その結果、メス犬は右手、オス犬は左手を用いる傾向が強かった(→出典)。
  • Quarantaらの調査(2004年) 雑種犬と純血種からなる80頭の犬を対象とし、「鼻にくっついた紙をどちらの手でとるか?」という観察実験を行った。その結果、オスは左手、メスは右手を用いる個体が多く認められた。また左利きの犬ではリンパ球細胞が、そして右利きの犬では顆粒球(好中球・好酸球・好塩基球)多かった(→出典)。
  • McGreevyらの調査(2010年) グレイハウンド(オス23+メス12)、ウィペット(オス15+メス32)、パグ(オス15+メス31)、ボクサー(オス17+メス28)を対象とし、前足を用いざるを得ない状況を設定して観察を行った。その結果、オスは左手、メスは右手を用いる傾向が強かった。しかしオスとメスとで偏向の度合いに違いは無かった。また年齢や犬種と左右の偏向に相関は無かったものの、短頭種(パグとボクサー)は両手を使う傾向が強いことが分かった(→出典)。
 上記したデータから推測すると、明確な理由は不明ながら、メス犬は右利き、オス犬は左利きが多いようです。短頭種(パグとボクサー)においては両手を使う個体が多かったという事実から考えると、マズルによって視界を妨げられた場合、どちらか一方の目(利き目)を優先的に用いるようになり、目と同じ側の前足を用いるという傾向が生まれるのかもしれません。

側性は何のため?

 人間を始めとする脊椎動物で見られる側性は、現象として存在していることは分かっているものの、その発生要因や存在意義についてはよくわかっていません。例えば以下は、人間の利き手に関して考察されている仮説の数々です(→出典)。
側性の発生仮説いろいろ
  • 右利き優性遺伝説 両親のどちらか一方から右利き遺伝子を受け継ぐと、子供も右利きになる。しかし10~25%の一卵性双生児では利き手に一致は見られなかった。
  • 左利き劣性遺伝説 両親から1本ずつ左利き遺伝子を受け継ぐと、子供も左利きになる。しかし両方の親が左利きである場合、子供が左利きである確率はわずか54.5%だった。
  • 性染色体関連説 女性を生み出すX染色体と連結した左利き遺伝子が、常染色体上にある右利き遺伝子を抑制する。しかし抑制遺伝子が何であるかが特定されていないため検証不可能。
  • 社会的プレッシャー説 左利きの不便さを憂慮した両親が、「右手を使いなさい!」というプレッシャーをかけ、子供の左利きを強引に矯正するという説。
  • 左脳優位説 言語を用いる時に左脳を優位的に用いる人では、結果的に右利きになるという説。しかし、言語を用いないチンパンジーを用いた調査でも右利きになる傾向が確認された。
  • ステロイド説 母体内にいる間に受ける性腺ステロイド(テストステロン)の影響で利き手が決定するという説。しかし動物を用いた調査と人間を用いた調査では逆の結果になる。
  • 母体内姿勢説 生まれる数週前の母体内における胎児の姿勢が利き手を決定するとする説。97%の胎児が頭を下にしており、そのうち3分の1が左側の耳を外側に向け、3分の2が右側の耳を外に向けている。しかし頭の向きと利き手が連動しているなら、右利きと左利きの割合は3対1になるはずである。しかし実際は9対1という幅がある。
  • 母親の抱っこ説 右利きの女性や両利きの女性は赤ん坊を抱く時に左手で抱える傾向があるため、赤ん坊の右側に多くの刺激が集中し、結果として右利きになるとする説。しかし右利きの女性が左腕で赤ん坊を抱っこした場合、赤ん坊の右腕の動きを制限してしまう結果になる。
  • 光刺激説 母体内において、どちらか一方の目でより多くの光を受け取ると、逆側の半球がより早く発達し、これが左右差を生み出すとする説。鳥類における調査では確認されているものの、人間においては不明。
 このように、側性の発生要因に関しては様々な仮説が存在しています。しかしどの仮説にしても、必ず他方から断定を妨げるような反証が現れ、「今後より詳しい調査が必要となるだろう」といった中途半端な結論で終わっているのが現状です。強いて表現するならば、側性は遺伝と環境の両方が複雑に絡みあって生み出されるエピジェネティックな現象となるでしょう。そしてこの表現は、そっくりそのまま犬の側性についてもあてはまります。犬で観察される「利き手」や「利き鼻」がどのような過程を経て決まるのかに関しては全く分かっていません。また、そうした側性が「個体の生存につながる」だとか「種の繁栄につながる」といった適応的な意味を持っているのかどうかも不明のままです。しかし存在していることは事実なので、人間の場合と同様、何らかの遺伝や環境因子が作用することによって生み出されたと考えるしかないでしょう。
エピジェネティックス
 「エピジェネティックス」(Epigenetics)とは、先天的に保有している遺伝子の発現パターンが、後天的な因子によって左右される現象のことです。たとえDNAは同じでも、後天的な因子によって全く違った遺伝子の発現パターンを見せることがあ 例えば2001年、「レインボー」という名の三毛猫からDNAを採取し、世界初となるクローン猫「CC」が生み出されましたが、レインボーとCCの模様は全く違います。同じDNAを持っているにもかかわらずこうした現象が起こった理由は、被毛のパターンを作り出す遺伝子に何らかの因子が加わり、発現パターンが変わってしまったからです。

伝説の結論

 過去に行われた様々な調査から推測すると、左右どちらか一方の器官を優先的に使う「側性」という現象は、犬にも確かにあるようです。ですから「犬にも利き手がある」という都市伝説は、部分的に本当ということになります。「部分的に」と限定した理由は、右手と左手を均等に使う犬が少なからず存在していると同時に、側性の存在意義がよく分かっていないからです。

犬の「感情価モデル」

 発生メカニズムや存在意義は不明ながらも、犬の側性の中に注目すべきものがあります。それは「感情価モデル」(Valence Model)という考え方です。これは、右脳はネガティブな感情をつかさどり、左脳はポジティブな感情をつかさどっているとする仮説のことで、右脳が働いているときは体の左側を、逆に左脳が働いているときは体の右側を多用するようになると考えられています。
 過去に行われたいくつかの調査では、この「感情価モデル」を裏付けるような結果が確認されました。例えば「左側に現れた蛇のシルエットに対して強いリアクションを示す」(→出典)、「不快な雷の音は右脳で処理される」(→出典)、「新奇なものを嗅ぐときはまず右の鼻腔を使う(※嗅神経は脳内で交差しないため右半球を使う)」(→出典)などです。また2012年に行われた調査では、「左注視傾向」(レフトゲイズバイアス, Left Gaze Bias)と呼ばれる特性も確認されています(→出典)。これは「対象を見るときに左側から見始める」という現象のことです。ネガティブな感情を喚起する写真に対し、犬は左注視傾向(レフトゲイズバイアス)を示す  犬が「怒った人の顔」や「犬の威嚇顔」といったネガティブな感情を引き起こす写真を見た時は左側から見始めたのに対し、「笑った人の顔」や「リラックスした犬の顔」といったポジティブな感情を引き起こす写真を見た時は、逆に右側から見始めるという傾向が見出されました。研究チームはこの現象を、先述した「感情価モデル」と結び付けて解説しています。つまり不安や恐怖などで右半球が活性化されると、右半球が支配している視覚領域も同時に活性化され、結果として「左側を注視する」という行動となって現れるということです。

「感情価モデル」と犬のしっぽ

 犬の「感情価モデル」を示すさらに興味深い調査は、犬のしっぽに関するものです(→出典)。調査を行ったのは、イタリア・バリ大学獣医学部の研究チーム。去勢手術を受けていないオス犬15頭と避妊手術を受けていないメス犬15頭からなる30頭を対象とし、さまざまな視覚刺激と犬の「しっぽ振り」との関係が観察されました。用いられた刺激は「飼い主」、「見知らぬ人」、「猫」、「支配的な見知らぬ犬」の4つで、それぞれ10回ずつ25日間かけて提示試験が行われました。その結果、以下のような傾向が見出されたといいます。
視覚刺激としっぽの振り方
  • 飼い主→激しく右側に振る
  • 見知らぬ人→やや右側に振る
  • 猫→わずかに右側に振る
  • 見知らぬ犬→激しく左側に振る
 こうした結果から研究チームは、犬で見られる「しっぽ振り」の非対称性は、左脳がポジティブな感情(大好きな飼い主など)と関連し、右脳がネガティブな感情(支配的な犬など)と関連しているという仮説を強く支持するものだと結論付けています。 犬のしっぽが振られる方向は、受け取った刺激が喚起する感情によって左右される  さらに上記実験を発展させ、「犬は他の犬のしっぽの振り方を認識できるか?」という疑問が検証されました(→出典)。調査を行ったのは、イタリア・バリ大学やトレント大学などから成る共同研究チーム。43頭の犬に対し、「しっぽを右側に振っている犬の姿」と「しっぽを振っていない犬の姿」、および「しっぽを左側に振っている犬の姿」を提示し、心拍数と態度にどのような変化が現れるのかを観察しました。結果は以下です。
しっぽの振り方への反応
  • 右振りを見たとき心拍数に変化は見られず、態度評価は「リラックス」。
  • 左振りを見たとき心拍数が上昇し、態度評価は「ストレス/不安」。
  • 振らない犬を見たとき心拍数が上昇し、態度評価に「ストレス/不安」が観察されたものの、左側に振っている犬を見たときほどではない。
 こうした事実から研究チームは、犬は他の犬のしっぽの振り具合から心理状態を推測し、それに合わせたリアクションを取ることができるとの結論に至りました。つまり、相手の犬がしっぽを左側に振っていると「何だか歓迎されていないな…」と警戒して心拍数が上昇し、逆にしっぽを右側に振っていると「友好的だな!」と安心してリラックスモードになるということです。 犬は他の犬のしっぽの振り方を見て心理分析することができる  上記したように、犬にとってのしっぽは、人間にとっての表情と同じように、自分の感情を伝えると同時に相手の心理状態を推し量る時の重要な指標になっているのです。こうした知識を持っておくと、しっぽの動きから犬の感情をある程度読み取ることができるようになりますので、犬との生活がより楽しいものになってくれるでしょう。しっぽは犬にとって重要なコミュニケーションツールの一つまた飼い主は同時に、「断尾」などという全く意味のない悪習に流されないよう注意する必要があります。この行為は、せっかく持って生まれた犬のコミュニケーションツールを奪ってしまうのみならず、感覚を伝える神経線維と痛みを伝える神経線維の癒着を引き起こし、「痛覚過敏」や「異痛症」といった病的な状態を招く危険性をはらんでいます。ヨーロッパの多くの国においてはすでに動物虐待と位置付けられていますので、しっぽの短いトイプードルを見たときは「可愛い」と思うのではなく、「かわいそう」と感じるように意識を変革しなければなりません。 犬の断尾 犬のしっぽから心を読む