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犬は何を恐れるのか?~人と動物の恐怖に対する感覚の違いを理解する

 恐れという感情は不快です。ですから犬にとっての幸せを考えた場合、犬が恐れを感じないような環境を整えてあげることが重要となります。ではいったいどういった物や状況が犬に恐怖心を与えるのでしょうか?具体例とともに詳しく解説します。

人と犬の脳の違いと恐怖心

 脳の器質的な違いから、動物は人間よりも強い恐怖感を抱きながら暮らしている可能性があります。「脳の器質的な違い」とは、人と動物では、そもそも脳みそのつくりが違うということです。
 2004年に発表されたM.R.MiladやG.J.Quirkらの研究によると、脳の前部に位置する前頭葉(ぜんとうよう)と呼ばれる部位は、活発になればなるほど痛みを増強し、逆に恐怖を抑制するといいます。反対から考えると、不活発になればなるほど痛みを減弱させ、逆に恐怖を増強するということも意味しています。
 この研究結果から類推すると、前頭葉が人間ほど発達していない犬は、人間よりも痛みに鈍感な反面、恐怖を強く感じているという可能性が見えてきます。ちなみに前頭葉が脳に占める割合は、人で29%、犬で7%です。
犬の脳の断面(顔を左から見たとき)
犬の脳の正中矢状断面。図の左側が鼻のある側で、右側が尾のある側。  また自閉症という独自の視点から動物の感覚を解説するテンプル・グランディン女史も、「動物と自閉症の人はどちらも、概して前頭葉が普通の人と比べて強靭でないために、恐怖システムが過敏になっているようだ」と述べ、動物が恐怖に対して弱いことを認めています。

犬にはない!言葉の隠蔽効果

 言葉による隠蔽効果がないため、動物は人間よりもトラウマを受けやすい可能性があります。「言葉の隠蔽効果」(いんぺいこうか)とは、恐怖と結びついた視覚的な記憶を言葉が抑圧する現象のことです。
 2004年、Rurh A.LaniusらはPTSD(いわゆるトラウマ)に苦しんでいる人と、同じ状況を経験してもPTSDにならなかった人の脳をスキャンして調査したところ、前者は脳の視覚領域が活発になり、後者は言語領域が活発になったといいます。これは、PTSDにならなかった人たちが言葉の隠蔽効果によって、不快な記憶に関する情報を脳内で抑圧したということを意味します。
 この言葉の隠蔽効果から類推すると、言語を持たない動物は状況を視覚的に記憶するしかなく、仮にPTSDになったとき、それを抑圧する「言語」という防衛手段を持たないという可能性が見えてきます。
 前記したテンプル女史も「動物は一度心的外傷を受けると、解放してやるのは不可能だ」と述べ、福祉の観点から動物たちになるべく恐怖を与えないことの重要性を強調しています。
PTSD
 PTSDとは、日本語では「心的外傷後ストレス障害」と訳され、死に直面するような出来事の後に起こる、様々なストレス障害のことを意味します。地震、洪水、火事のような災害、または事故、戦争といった人災が主な原因です。

動物の恐怖を予防しよう

 前頭葉の未熟性、および言葉を持たないという特性により、動物は人間よりも恐怖というものに弱い可能性が見えてきました。では、動物に恐怖を与えるものには、一体どのようなものがあるのでしょうか?
 1980年代、ロンドン大学キングズカレッジ心理学研究所のジェフリー・グレイ博士は、人間も含めた全ての動物に共通する恐怖を、「強烈な刺激」(急な物音など)、「進化の過程で学習した恐怖」(雷など)、「社会的に学習した恐怖」(他のメンバーが怖がるものを怖がる)、「個別に学習した恐怖」(蜂に刺された後、蜂を怖がる)、「目新しい刺激」という5つにまとめました。
 またテンプル・グランディン女史は、著書「動物感覚」において、上記グレイ博士がまとめた5大恐怖を具体化する形で、農場の動物が怖がるものをリスト化しています。犬は捕食動物で、なおかつほとんどは家の中で飼われているため、農場にいる草食動物と全てが共通しているとは思えませんが、動物全般の心理を予測するときの実用的なヒントにはなってくれるでしょう。 動物感覚(NHK出版, P51~)

視覚系の恐怖と予防

 生活環境の中から一掃したい、犬に恐怖心を与えうる視覚的情報の一覧リストです。
 犬の目・視覚で詳述しましたが、人と犬の視覚には違いがあります。具体的には犬の視力が0.26程度で色覚に乏しく、逆に明暗に敏感なこと。そして視野が広くて動くものに対する動体視力が優れていることなどが挙げられます。こうした視覚の違いから、人間には取るに足りないものが、犬にとっては恐怖の引き金になってしまうということもありえます。
恐怖を生む視覚的情報
  • きらきら光る水溜りの反射
  • なめらかな金属の反射
  • 床に落ちている小さなもの
  • 排水溝の格子のフタ
  • 設備の色の強い対比
  • 暗すぎるシュートの入り口
  • まぶしい太陽など明るい光
  • ゆれる鎖
  • 柵にかけた衣服
  • 動くビニール
  • 扇風機の羽根のゆっくりした動き
  • 目の前で動く人
家畜脱出防止溝
 家畜脱出防止溝(cattle guard)とは、道を横断して掘られた穴の上に、金属や木製の格子を掛けた場所のことで、時には縞々の線を引いただけのものもあります。白黒に敏感な動物の目には、白と黒のコントラストが強烈に映るため、黒い部分が底なしの穴に見えると考えられます。こうした錯覚が家畜に恐怖心を与え、脱出を防いでくれるわけです。 家畜脱出防止溝~道路の上に白線を引いただけのものもある

聴覚系の恐怖と予防

 生活環境の中から一掃したい、犬に恐怖心を与えうる聴覚的情報の一覧リストです。
 犬の耳・聴覚で詳述したように、犬の耳は人間のものより高性能です。人間の可聴域(かちょういき=聞き取れる音の範囲)が20~20,000ヘルツであるのに対し、犬の可聴域は40~65,000ヘルツといわれており、特に3,000~12,000ヘルツのが最も敏感です。こうした違いから、人間の耳では捕らえることのできない極めて高い音に対し、犬が恐怖を感じてしまうということは十分に考えられます。
恐怖を生む聴覚的情報
  • 突然の物音
  • 金属がぶつかる音
  • 甲高い音
  • 空気が抜ける音
犬はヘビーメタルに代表されるようなリズムが速くて大きな音が苦手  なお2002年に行われた実験によると、犬はヘビーメタルが嫌いなようです。観察の対象となったのは、動物保護シェルターに収容された50頭の犬。「音楽なし」、「クラシック音楽」、「ポップミュージック」、「ヘビーメタル」という環境内における姿勢や活動の度合いが観察されました。その結果、「クラシック音楽」を聞いているときの犬は休んでいる時間が増え、鳴き声が減ったのに対し、「ヘビーメタル」を聞いているときの犬は、立っている時間と鳴き声の両方が増えたといいます。こうした傾向から研究者はクラシック音楽には犬の心を落ち着ける鎮静効果がある一方、ヘビーメタルには犬をそわそわさせる挑発効果があると結論付けました。犬はリズムが速くて大きな音に対し、恐怖や不安を示す傾向があると考えた方が無難でしょう。 Abstracts and Links to Music studies with animals  また2021年に行われた最新の調査では、犬たちが日常生活の中にあふれる「高周波・断続的・突発的」な音を嫌うことが示されています。例えばブザー(呼び鈴)やアラーム音(地震警報・火災報知器・携帯の呼び出し音)などです。 日常生活によくある犬が嫌いな音

触覚系の恐怖と予防

 生活環境の中から一掃したい、犬に恐怖心を与えうる触覚的情報の一覧リストです。
 屋外で犬を飼っている家庭では、エアコンの室外機が犬小屋付近に向けられていないかどうかをチェックしなおす必要がありそうです。また、抱っこ大好きな犬がいる一方、身動きの取れない状況を恐怖に感じる個体もいます。犬を抱っこするときはいきなりではなく、性格をよく見極めてからの方がよさそうです。
恐怖を生む触覚的情報
  • 吹き付ける風
  • 床材と感触の変化
  • 一方通行ゲート
  • 身動きの取れない状況