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シンシア

 「身体障害者補助犬法」の成立に尽力した介助犬「シンシア」について解説します。

シンシアとは?

 シンシアは、「身体障害者補助犬法」の成立に尽力した介助犬。
子犬の頃はとってもお転婆だったシンシア  兵庫県宝塚市に暮らすコンピュータプログラマーの木村佳友さんがオートバイ事故に遭ったのは1987年のことでした。この事故で首の骨を折った彼は、足はもとより手も動かせなくなっていまいます。しかしその後の懸命なリハビリにより、在宅勤務ができるまで回復し、宝塚市内で奥さんと暮らしていました。
 木村家に生後50日のメスのラブラドールレトリバー「シンシア」がやってきたのは1994年のこと。最初はお転婆で、飼ったことを後悔したときもあったそうです。そんなシンシアの才能が開花するのは、東京・八王子にある介助犬訓練所へ預けられてからでした。生後11ヶ月だった彼女は、それからの4ヶ月間を訓練に費やし、「くわえる」、「持ってくる」、「離す」など基本的な動作ができるようになりました。そして1996年7月、国による公的なものではなかったものの、訓練所に「介助犬」として認定されます。
木村さんと講演会に臨むシンシア  シンシアのおかげで、木村さんの行動範囲は一気に広がりました。しかし、介助犬はどこに行ってもペット扱いで、スーパー、レストラン、公共施設、交通機関などでは、ことごとく同伴を拒否されたといいます。
 そうした苦境にもめげず、木村さんがあえて外出をやめなかったのは、「世間における介助犬の認知度を高めよう」という使命感があったからです。彼の地道な活動は徐々に実を結び、介助犬の話題をマスコミが取り上げるようになったり、また介助犬に関する講演依頼が次々と舞い込むようになります。木村さんがシンシアを連れ立って行った講演回数は、北は北海道から南は九州まで、9年間で364回にも及んだといいます。
 こうした普及活動のおかげもあり、2000年の春には、住友生命が扱う介護保険のコマーシャルにシンシアが抜擢されます。さらに同年5月、宝塚市が「シンシアの街」を宣言したことで、介助犬の知名度がさらにアップしました。
厚生労働省指定の法人による認定試験を受けるシンシア  木村さんとシンシアによる草の根運動が大きく花開くのは、2002年のことです。介助犬の重要性を理解した国が、同年5月に身体障害者補助犬法を成立させ、民間や公的施設における介助犬の同伴を、法的に認めてくれたのです。
 新法が施行されてから1年後の2003年10月、シンシアは神戸市にあるリハビリテーションセンターに出向き、厚生労働省指定の法人による認定試験を受けました。結果は見事合格。彼女は晴れて、全国で3頭目の「公的な介助犬」として認められました。
 しかしそれから約2年後の2005年12月、12歳になったシンシアにも引退のときがやってきました。引退式は宝塚と東京で行われ、彼女は介助犬ではなく、木村家のペットとして、新たな生活をスタートさせました。ところが余生を送り始めた矢先の2006年3月14日、シンシアは静かに息を引き取ります。死因は脾臓にできた腫瘍でした。
 「身体障害者補助犬法」という新たな道を切り開いたシンシアの生涯は、毎日放送系ドラマ「シンシア~介助犬誕生ものがたり」(2003年5月)や、多くの書籍、また英語の教科書などで取り上げられ、今日に至るまでその功績が語り継がれています。 介助犬「シンシア日記」 シンシア (介助犬)
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シンシアの写真

 以下でご紹介するのは、「身体障害者補助犬法」の成立に尽力した介助犬「シンシア」の写真です。 日本全国津々浦々、木村さんと講演会の旅をしたシンシア
 木村さんとシンシアは講演会で、介助犬が楽しみながら仕事をしていることをデモンストレーションした。これにより「犬を奴隷のように働かせるのは可哀相」という漠然とした思い込みを払拭(ふっしょく)したかったという。 写真の出典はこちら
木村さんとキスする在りし日のシンシア
 木村さんは現在、「日本介助犬使用者の会」の会長を務め、介助犬普及活動の中心的存在として活動している。また社会福祉法人日本介助犬協会の訓練センターはシンシアの丘と名づけられた。写真の出典はこちら
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